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生きるということ

木は、誰かを癒すためにそこにあるのではない。
木は、地球を綺麗にするためにそこにあるのではない。
木は、ただ自分の生命を保っているだけ。
木は、あるがままに生きているだけ。

私は思っていた。
負のエネルギーを吸収し、私が浄化する、と。
私のエネルギーは、噴水のように常に溢れ続けているから。
どれだけの負荷がかかろうと、私の光輝くエネルギーは常に増え続ける。
だからこそ、一日中クレーム対応であっても、気を病むことはない。

本当に、この思いで生きて良いのか?
疑問があった。
この思いは、相手への押し付けではないか?
誰かにとっては、迷惑になるのでは?
あるいは、ポジティブな考え方・意見により、誰かを傷つけてしまうのではないか?

疑問があったけれど、気付いた。
瞑想では、私は木、とイメージしている。
木は、こんな小さなことを気にしないのでは。
木は、ただ呼吸をしているだけ、何百年・何千年と呼吸をしているだけ。
それだけで、空気を浄化し、動物たちに生活の場を与え、更に木の呼吸は、知ってか知らずか、地球を潤すにも役立っている。

私も、あるがままに生きていいのではないか。
確かに私は、怒りや不安を鎮めることが出来る、負の感情を浄化するだけの力がある。

これはあくまでも、私の持つ力の一つであり、この力を誇張する必要はない。
無理にポジティブを演じる必要もない。
悲しみに暮れる必要もない。

ただ、私の生命を感じるだけ。
それだけで、誰かのために、地球のためになっていく。
良いと思うものを受け入れ、心地の悪いものから離れ、私の好きなように日々を生きていく。
飾ることもなく、誇張することもなく、嘆くこともなく。
ただ、今を、受け入れること。
これが生きていくこと、だと気付いた。

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