前髪を作った話|1|


だからなんだよですが、前髪をつくってきました。約1年ぶりです。

今日までの1年間は、オールバックというか、真ん中分けでした。だからなんだよの最たる話ですね。でも久しぶりに前髪を作った今日、わたしにとってこの前髪のない1年は有意義だったな、と気付いたのです。


人生の多くは慣れです。わたしは人見知りですが、以前はマイクで団体のお客様を誘導したり、勤め先の名所について説明したりするバイトをしていたこともあります。セリフを覚えてピンマイクで50人程度のお客様を前に言葉を発するのは、正直苦手でしたが、ある程度回数をこなすと慣れてくるものです。


慣れてできるようになると、それはわたしの中で一種の成功体験となって自信になります。とはいえ、今もう一度できるかと問われると御免被りたいとは思います。この時のわたしの前髪は重めのパッツンです。

この時の、と言いながらわたしはこれまでの人生の多くを重めの前髪とともに過ごしてきました。前髪がない状態で人前に立つのは、それはそれは精神的苦痛を伴うものでした。例えば強風が吹いて顔面から前髪がなくなってしまった時なんかは内心ゾッとしていました。


端的にいえば、顔を隠したいのです。なぜなら顔に自信がないから。美醜の話かというと、そればかりでもありません。他者の視線が気になるといえばそうなのですが、個人的には「とあるコミュニティ内の意識に浮上したくない」という感じです。気持ちがわかる人はたぶん、こんな時勢じゃなくてもマスクが好きですし、メガネも好きだと思います。顔に自信がないので、重めのパッツン前髪は安心できました。ここに(視力はいいので)ブルーライトカットのメガネでもかければなおのこと安心です。そうして、これまで何度髪型を変えても変わらず前髪を維持していました。


さて、そうも隠したい顔はいかほどのものかとお思いでしょうが、客観的に見ればおそらくわたしは壊滅的に崩れた造形ではありません。一度会ったくらいでは顔を覚えられない程度には可もなく不可もない顔をしています。壊滅的に崩れた造形であったなら、一発で印象に残るでしょうが、そのようなことはありませんでした。

そもそもわたしは普通の一般家庭で育ったので、身内からは散々可愛いと言われて育っています。兄に至っては未だに可愛い可愛い言ってきますからね。おかげで自己肯定感というのがそれなりに育っています。

そのせいか、わたしは自分の顔に満足しています。可愛いと思っている、とかではなく納得しているというか…整形をしてまで修正したいと思うパーツは別にないです。生まれた時からこの顔なので、見慣れているせいもあると思います。

(続く)