見出し画像

梅雨月見


雨が降る。それも数ヶ月ほど降り続く時期のことを日本では梅雨という。

今では滅多に目にすることがないが、この時期にはよく軒先に梅雨桶が置かれていることがあった。そう、梅雨月見だ。


梅雨月見は物が揃えばどこででもできる、ということではないらしい。

桶を買ってきて同じようにやってみたけれど、一人暮らしのこの家のベランダでは月は出てこなかった。

都会の空気が汚いだとか、昔よりオゾン層の破壊が進んで紫外線が強いとか、気候の異常変動とか、そういうものが影響していたりするのだろうか。学者ではないので不明だ。

とにかく成功しなかった。

実家では毎年恒例だったし、同じ部落のひとびとも同じくそうであったので、外の世界を知るまではみんなそうしているものだと思っていたのだが、どうもわたしの住んでいた村だけの恒例のようだ。


梅雨桶も月桶もAmazonでは売っていなかった。実家では祖父か父が自作していたので、作れるから買わないのだと思っていたが、もしかしたらそもそもそんなもの一般的でなかった可能性が出てきた。なんてったってAmazonにないのだ。わたしはAmazonの品揃えに関して信頼を置いている。


いまだにご近所を字(あざ)というか屋号というか、戸籍に載ってる名前とは別の、家の建っている場所や家柄にちなんだあだ名のようなもので呼び合う村で、ずいぶん古い慣わしがまだ残っている田舎なのだ。お盆やお正月の慣例も都会のひととは話があった試しがない。

方言のように、地元のひとにしか通じないことがいくつかあるのは、地方出身者あるあるである。


梅雨月見が好きだった。雨ばかりで一日薄暗く、気圧が低くて気が滅入りそうになっても、鮮やかな紫陽花や薄ら光る白いお月様を夜な夜な家族で眺めるなんて、子供ながらに粋だねえと思ったものだ。


何より梅雨月見の日は早く寝なさいと叱られない。子供は背伸びして、夜更かししたがる生き物なのだ。あと夜な夜な食べるお母さんの焼きおにぎりが最高で。これはほんと、この世の全ての人に経験してほしい。


兄は半月が好きで、わたしと母は三日月、父は満月が好きだったので紫陽花の量でじゃんけんをしたりした。懐かしい。紫陽花の一玉を満月として、花弁をどのくらい入れるかで月桶から出る月の満ち欠けが変わってくる。思い通りにならないこともあるけど、わたしは紫陽花は少なめで細い三日月を出すのが好きだった。


梅雨時期に降った雨でなければ月は出てこない。期間限定にはみな弱いものよ。今年も梅雨が来ますね。