見出し画像

レクリエーションを余暇と訳したのが間違いby高野悦子~人間の再生に必要な活動~

2022年7月29日に、ミニシアターとして草分け的存在だった岩波ホールが閉館しました。その岩波ホールの総支配人であった高野悦子氏は、私の母校日本女子大学の卒業生で、私が学生だったとき、卒業生による講演会の講師を務められたことがありました。その中のお話のひとつがとても大切なことだったので、これ機会にシェアします。
 
高野氏は、『私は「レクリエーション」という言葉を、「余暇(他に気晴らしや娯楽)」と訳したのが間違いだったと思う。(本来「再生産」や「再創造」と訳すべきで←ごめんなさい、ここは記憶があやふやです)、疲れた人間がまた新たに活動し、そして創造的活動をするために、休息をとったり遊んだりすることが必要で、とても重要な活動のこと』と話されました。
 
このように、レクリエーションを積極的に語っている人がいたでしょうか。
私が初めてこの言葉を知ったのは、たしか小学校の授業の一環としてとしてだったと思います。わりと早く教えられたことは評価できるとして、その教え方がミスリードだったと思います。余暇、余った暇。勉強するのが本分で、レクリエーションは余って暇な時間があったらするもの。それもフォークダンスとか、小学生には少々気恥ずかしい時間で、とても再生のための時間とは思えませんでした。レクリエーションとは、余暇と表現されるような消極的な活動のことではなくて、人間がその創造的活動をするためにはなくてはならない時間であり、そういう観点からもっと積極的にとるべき時間なのだと理解しました。
 
高野さんがこの言葉の定義の違いを知ったのは、外国に行った時のことだそうです。海外では、勉学や労働をよりよくするためにレクリエーションが大事であるという認識だったそうです。この、よく休むことを筆頭に、芸術に触れたり自分が楽しいことをすることが、人間の再生には必要であるという認識が日本には少ないのではないでしょうか。それどころか、休むことに罪悪感を持つ人もいます。働き続け、休みをとることは怠け者であるという風潮では、疲れ切った人間をぐだぐだと続けるくらいしかできません。明日のために活力を取り戻し、そして創造的な活動をする人間になるにはレクリエーションが必要なのです。
 
高野さんはこの違いを知って、とても残念に思ったり悔しい気持ちをもったことでしょう。岩波ホールの活動を通じて、私たち日本人に質の高い文化を提供し続けたモチベーションはこの言葉の意味の違いを知ったからかもしれませんね。
 
これを読んだみなさん、これからは積極的にレクリエーションの時間をとってみてはいかがでしょうか。遊んでいる時間を後ろめたく思わず、この遊びこそが自分の成長に繋がるのだと思うと、のびのびと遊べますよ。自分に対しても心地がよくなりますし、お子さんをはじめご家族や他の方のレクリエーションな活動に、とっても暖かな目で接することができるようになります。この余裕、真面目でおやすみをとりにくい今の日本には、とても必要なことだと思います。先ずは、夏休みの宿題をやめてみたらいいのではないかしら。
 
最後に日本女子大の卒業生について少し。
「信念徹底」「自発創生」「共同奉仕」を教育理念の三綱領に掲げる日本女子大の卒業生には、経営者や団体の長など自立した生き方をする人が多いです。また芸術関係の道に進む人も多く、学生時代に教科書に出てくる芸術家が日本女子大関係と知ると誇らしい気持ちになったものでした。夫高村光太郎の詩集『智恵子抄』でも有名な洋画家 高村智恵子。宮沢賢治のよき理解者であった妹の宮沢トシ。自らが創刊した雑誌「青鞜」に、『元始、女性は太陽であった』の言葉を載せた思想家の平塚 らいてう。など。

人間の再生のための時間として、ぷるぷる氣功はいかがですか?
氣功教室開催しております。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?