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母と娘の関係性

私と母は仲がいい。

相談事もするし、他愛もない内容のLINEを送り合ったりする。

でもそれは、私が結婚して距離ができた今だからこそ言えることかもしれない。

母にはもちろん感謝している。
これまで育ててくれたこと、たくさん心配をかけたこと、好き放題やってきた私を見離さないでいてくれたこと。

中高生の頃、私がやんちゃをしてもグレたり人の道を外れなかったのは母がいたからだと思う。

明るく、みんなのおかん的なポジションだった母は私の友人達にも慕われ、相談を受けたりしていた。

ただ、正直そんなにいいことばかりではない。

みんなから慕われている、肝っ玉母ちゃんキャラの母を持つ娘だからこそ、親しい友達にも母のことだけは相談できなかった。

母は昔から感情の起伏が激しいタイプで、機嫌の悪い日に八つ当たりされることは日常茶飯事だった。
罵声罵倒はもちろん、手が出ることも頻繁にあった。
兄には当たらず、私にあたっていたのは同性だからだろう。

今考えると、母もしんどかったんだろうと思う時期はある。
だが思春期真っ只中でまだ子供な私にはそこまで理解してあげることはできなかった。
その頃は私も声を荒げて反抗した。

大人になった今は、女性ならではの感情の波は理解できるし、母の辛さや、更年期などで感情のコントロールができないこともあるのだろうと理解しようとしている。

その甲斐もあってか、私が実家を出て、結婚し、物理的に距離ができたおかげで関係は基本的には良好だ。

ただ、母が定期的に起こすヒステリックの八つ当たりの矛先は、離れたとしても私なのだ。
大人になって自立してからも変わらないのだから、きっとそこは変わらないのだろう。

こんなことを書いていると、世の中の仲良し親子にはそういった歪みはないんだろうかと疑問に思ったりする。

我が家は昔から母の日や母の誕生日を大袈裟なほど大切にしてきた。
これはもう、母の教育の賜物だろう。
ただ違和感があるのは、それは母の誕生日のみということだ。
私の誕生日を祝ってもらった記憶は小学生まで。
中高生の時はおろか、成人の誕生日さえ特に祝ってもらわなかった。
そうだったにも関わらず、結婚して家庭を持った今でも毎年母の誕生日や母の日にはそこそこ良いプレゼントを送っている。
なんとなくの義務感だ。
プレゼントが届くと母からは喜びの連絡が来る。

それで母が喜ぶのなら良いと思いつつ、その数日後に母が荒ぶると、あの時の喜んでいる様子は嘘だったのかのように攻撃的なLINEが来る。
良いのか悪いのか、もう慣れたもので気にならない。

そして数日すればまた何もなかったかのように、実家の犬の写真が送られてきたりするのだ。

追求するのも面倒臭いので、私もそれを受け入れる。

女性の多くは母親と仲がいいかもしれない。
ただ、そうなければと思っている人も多い気がする。

どこの家族も多かれ少なかれ問題はあり、何も問題のない家庭なんてごくわずかではないだろうか。

それで良いと思う。

離れて円満になる関係ならば距離を置けばいい。

母親のことは愛さなければならない
というような世の中の流れに息苦しさを感じてもなんらおかしくない。

必ずしも純粋に母親の全てを愛さなくていいと思うのだ。

私も母も人間なのだから。

これからも、良い距離感でやっていこう。

私が一番愛してあげるべきは、私自身だ。

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