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試写会『MEN』アフタートークレポート(登壇:アレックス・ガーランド監督)

※本記事は2022年11月に参加した試写会レポートになります。


あらすじ

あらすじ:ハーパー(ジェシー・バックリー)は夫ジェームズ(パーパ・エッシードゥ)の死を目の前で目撃してしまう。彼女 は心の傷を癒すため、イギリスの田舎街を訪れる。そこで待っていたのは豪華なカントリーハウスの管理人ジェフリー (ロリー・キニア)。ハーパーが街へ出かけると少年、牧師、そして警察官など出会う男たちが管理人のジェフリーと全く 同じ顔であることに気づく。街に住む同じ顔の男たち、廃トンネルからついてくる謎の影、木から大量に落ちる林檎、そ してフラッシュバックする夫の死。不穏な出来事が連鎖し、“得体の知れない恐怖”が徐々に正体を現し始めるー。(引用:filmarks

アフタートークレポート

試写会ではアレックス・ガーランド監督の来日が急遽決まり、試写会後に登壇されました。試写会に参加した人からの質問にも直接回答するなど、普段、映画雑誌では出てこないような話題もあり、とても興味深かったです!
試写会のお土産には、りんご飴をもらいました🍎

Q.同じ顔の男が現れるアイディアはどこから?

まず、自分が映画を作るときには、なるべく''問い''を立てるようにしてるんだ。映画を観て、みんなにもこの問いに対して一緒に謎解きをしてほしいと思ってる。答えを全部与えてくれるような映画にはあまり興味がなくて。質問の『同じ顔』についてだが、それもこの''問い''に関わってくる。
1つは『男はみんな同じなのか?』そしてもう1つは『(同じではないが)みんな同じように見えるのか?』だ。この2つは似ているようで全く違う問いになる。そしてこの映画の主人公は、男が同じ顔をしていることに気づいている素振りがない。果たして、この問いの答えはどちらだろう。考えてみてほしい。

Q.先行上映されたマスコミ向け試写会では、Toxic masculinity(*1)について話題になったが、監督自身はどう思うか? 

A.有害な男性性については特別新しいことではない。自分は1970年代生まれだが、自分の父や母も話題にしていただろうし、昔から議論されている。そのわりには社会はそんなに変わっていないように思える。女性が声を上げることも大事だが、男性もこの議論に参加することは大事なことだと思う。
*1…Toxic masculinity(トクシックマスキュリティ)とは、日本語で「有害な男らしさ(男性性)」と訳され、伝統的に男はこう振る舞うべきとされる行動規範のうち、負の側面があるとされるもののこと。例えば、男性優位の意識(女性を見下すような意識)や、男はタフでないといけない、泣いたらダメだという意識、男は性的に活発であるべきという意識などが具体的には挙げられる。

Q.監督の過去作品ではどれも美しい自然が描かれている。監督の中で自然を作品に取り入れるのは、何か意図や意味があるのか?

A.まず、映画を作る人には2つのパターンがあると思っていて、1つは『自分が13〜15歳くらいのティーンエイジャー時代に好きだったものを繰り返す(再現する)パターン』と、『世の中で起きたことにリアクションして作っていくパターン(つまり過去の作品にとらわれない)』で、自分は完全に後者。そしてシュールレアリスム(=超現実主義)な側面も宿している。もしかしたら今回のように奇妙な物語は、現実に即してないじゃないかと思われるかもしれないが、自分からしたら現実の世界のほうがよっぽと奇妙じゃないかと思っている。最後に、自然は単純に好きだから作品に取り入れている。自然は私にとって生活の一部だ。

Q.主人公ハーパーというキャラクターを演じる役者に対して、監督はどのようなニュアンスのことを伝えたのか?またどのようにしてキャラクターを作り上げたのか。

A.自分は入念にリハーサルをしたうえで映画撮影をするスタイル。そのためリハーサルの時間を確保できる役者をキャスティングをすることが契約に含まれている。本作でも撮影前に2週間ほどかけて、台本の読み合わせや、リハーサル、映画のテーマについて話し合う時間を設けた。今回主人公を演じたジェシー・バックリーは直感的に演じるタイプだったので、彼女のやることに合わせて撮影の仕方や演出を変えたりしている。映画監督の一般的なイメージは、監督が一から全て決定しているように思われるが、自分の場合はそうではなく、役者やスタッフたちとコラボレーションをしながら撮っている。例えば劇中に出てくるピアノ。あれは美術スタッフが用意したものではないんだ。元々ロケ地にあったもので、運び出すのが大変だったからそのままにしていた。ある日、撮影の合間にジェシー(ハーパー役)がピアノを弾き始めたから、そのままピアノのシーンを起用した。あとは、演出面でいうと、彼女の怒りがこみ上げるシーンをどう表現するかはけっこう話し合った。自分としては典型的なホラーの手法は避けたいと考えていたからね。役者と話し合いながら決めていくことで、監督としての演出をなるべく縮小し、役者とのコラボレーションを大事にしている。

Q.男の加害性に加え、自分には『生命』がテーマのように感じた。生や死について監督はどのように捉え、映画に盛り込んだのか?

A.(しばらく考え込む)…これが直接的な回答になるかは分からないけれど、まず自分は無神論者である。神を信じないし、死後を信じてはいない。そしてこの映画では生や死、また男と女について触れているけれど、もう一つ『神話性』にも触れている。これはある種の縛られたストーリーテリングの手法の1つではあるんだけど、本来は力を帯びなくてもよいものが力を帯びていて、これが映画に含まれています。

Q.おそらく日本では同様のテーマ(※Toxic masculinity)で映画を作ることは今はまだ難しいんじゃないかと思っている。このテーマを描くのにあたって挑戦した、あるいは躊躇したことはあるか?

A.ベストな答えになるか不安だけど、困難だったことは、撮影しながら怒りのような強い感情が込み上げたこと。演出するにあたって、その感情をコントロールしなくてはならなかった。この大きな感情の正体を考えたときに、それは『恥』や『罪悪感』『嫌悪感』だと気づいた。自分が正しいというつもりもないし、モラルを偉そうにいうつもりも全くないが、男性の加害性について怒りが込み上げてきたんだ。これはさっきも言ったとおり、何も新しいものではなく、昔から話題になっているし#MeToo運動でも世界中が議論していること。だけど、娘が11歳か12歳になる頃かな、ある日、街の男性たちの娘に対する(セクシャルな)視線に気付いたんだ。またある日は乗り物に乗っていて触られたとか、盗撮されたとか、そういう話を娘から聞くんだよ。今まで散々論じてきたのに、だ。それもおかしな男性ではなく、スーツを着ている会社員であったり、ごくありふれた男性たちが娘に向けてそういう側面をみせるんだ。そして同じ男として恥ずべきことだと感じる。そういった感情が込み上げて、撮影はとても難しかった。1つ付け加えておくと、この作品は世の男性を懲らしめるつもりで作ってはいない。むしろ自分自身に鏡を当てているような感覚。決して心地よくない真実を直視しなければならないし、直視しながら撮った作品でもある。


⚠️ここから先はネタバレを含みます。
⚠️未鑑賞の方は、ご注意ください。

引用:公式サイト

アフタートーク(ネタバレあり)

⚠️ビジュアルや技術面で挑戦したことは?

A.漫画家だった父親の影響なのか、映画を制作するときには視覚的に考えるタイプなんだ。ビジュアルでは田舎の牧歌的な美しさを撮りたいと思った。また、お産のシーンは、企画段階でスタッフにアイディアを伝えたらショックを受けていた。映画にあるように、男性の身体にヴァギナがあるといったものではなかったけど、出産というのは昔からある普遍的なものなのにショックを受けているスタッフがいることに驚いた。

試写会アフタートークレポートは以上になります。
試写会に参加してる一般の人からの質問にも真摯に答えてくださって、すてきな監督さんでした。また本作品は自分にはとても難解だったので、こうして映画のテーマ等の解説を聞けて良かったです。

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