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切り取るのは好きだけど ✂︎

私は写真を撮るのが好きです。
「かわいい」「美しい」の瞬間を切り取ったり、組み合わせたりするのが好き。
世界観が統一されてるもさまも好き。
snsやHPなど、ネットの世界は切り取られたもので溢れている。
それはとても好きなんだけど。

でも、実際に見えてるその表面には出てきていないずーーーっと広い世界が、その見えてるものの奥にあるのだという想像力は、絶対忘れたくないなといつも思う。

文字や言葉とか、文章、絵、映像とか、アートと呼ばれるような作品でさえ、それに接するときには、それを表現したのが人ならば、その人のこれまでの歴史とそのときの心象と、哲学と、あるいはその時の状況や環境とか、その時の星まわりとか気の迷いとか、もうそこでは実際に目に見えないものの方が遥かに広くて深くて、そういうものを携え纏った「人」が紡いだものだということを、忘れてはいけないなぁと思う。

私のsnsの使い方は、嬉しいとき楽しいときに投稿することのほうが断然多いのだけど、じゃあ私の人生にそれ以外の汚いもの辛いもの悲しいことがないのかと言われれば絶対そうじゃない、全然ある。当たり前だけど。
でも、それが無いもののように錯覚しやすいのがネットの世界なのかもなぁと。
「人間が生きる」って、「生活する」って、地味でめんどくさいことが大半で、人との繋がりも、フォローしてるしてないの話じゃなくてグラデーションの中にあって、そういうことをいちいちちゃんと思い出せるようにしときたいな、と思う。

美しいだけの世界に居すぎると、生きてることを確かめたくなってわざわざ傷を作り出したりするのが人間なのかもしれないとも。
陰陽を漂う遊びをしにきたので、ネットの世界もキラキラした世界も大好きだけど、窓開けて空気吸ってご飯作って食べてゴミの始末して汚れたところを掃除して生身の人間と関わって……そういう体の動きを伴う、ともすればめんどくさい生活こそ大切にしようと、最近よく思う。
そこにひたすらの自覚がないと、きっと切り取られたものの向こう側への想像力を失ってしまうから。

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