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なぜローカルだったのだろう?(自問)

2010年4月に、私は前職の地元新聞社を離れ、ローカルメディアラボという会社を立ち上げました。実は、起業しようという決断よりも、新聞社を離れようという決断の方が早かったので、在京のIT企業の方はじめ、色々な方からお声がけをいただきました。一時は、家族を地元に残し単身で東京に出ようかと悩んだこともありましたが、そんな中で転機が訪れました。

ある日、九州では有名な地域情報化界隈の大先輩と食事をする機会がありました。お酒が入ったせいもあり「ネットは本来地域こそが使いこなすべき」「九州をともに盛り上げていこう」といった話で盛り上がったことを覚えています。その上で、数ヶ月のあいだに色々な先輩方を紹介していただき、なんとなく外堀も埋まり笑。東京に出ることに自身に迷いがあったこともあり、徐々に地元での起業を考えるようになりました。

今だから言えるのかもしれませんが、当時は、地域でITをやるからこそ意義があるんだ、と自分自身を懸命に鼓舞していたような気がします。今みたいに地方創生や、地方××といった目立ったスローガンもない中で、ローカル○○○といった社名を考え、事業のビジョンと優位性を無理矢理資料にまとめた記憶があります。ほんと、今考えると浅はかだった笑

でも、2022年になって思い返すと、それほど間違ってもいなかったのかな、と思えます。本当に地方に有益な地方創生が展開されたかどうかは置いておいて、一巡して、この10年の流れをつかみつつ活かす場面が増えてきた実感があるのです。その一つがシビックテック活動なのかもしれません。地元を知らない人たちが、寄ってたかってxTechやりましょう!と押しかけてきても、それだけでは恐らく一過性の盛り上がりは演出できても、持続性が担保できない。これはDX周辺も同様。これから大事なことは、その辺りなんだろうなぁと思ったりしています。また、全国に同志がいて、既に繋がっているという心強さもあります。やはり自分事であることは大事です。

とはいえ、私ももう52歳です。自分の中では、この10年を仕上げの10年と位置づけているつもりです。自分なりに思い描くスマートシティ(っぽいもの)の形を少しずつ作っていきたい。国内のオープンデータ政策を一歩進めたい。デジタルアーカイブ、OpenGLAMの世界に少し貢献したい。新しい公共を模索してモデルを作りたい。何より自分の住む街、県、そしてあちらこちらでお世話になっている九州をICTの力で盛り上げたい。などと思いを巡らせています。

こんな私のわがままに付き合ってくれる仲間を、営利、非営利のチャネルで、これから地味に集めていきたいと思っています。個人でも、企業や団体でも構いません。興味ある!という方はご連絡いただければ幸いです。



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