オジサン同士のハグ

あれはハグというのだろうか、人前で思わず相手と抱き合ってしまった。しかも、こっちもオジサン、相手もオジサン。
傍目にあまり美しいものでないことは承知している。自分だって、直前までまさかそうするとは思っていなかった。しかし自然にそうなってしまうこともあるのだ。

去年の11月、仕事仲間から、
「Kさんが青銅さんの連絡先を知りたいと言ってきたけど、メールアドレスを教えてもいいですか?」
という連絡が来た。
Kさんとは40年以上前に半年ばかりお仕事をした。それきりだが、もちろん私は憶えている。というか、向こうがこっちを憶えていてくれたことの方が驚きだ。
「もちろん。どうぞどうぞ」
と答えた。

これは1990年代以前から仕事をしている方にしかわからないだろう。当時、インターネットなんかない。もちろんSNSもないし、メールアドレスもない。だって携帯電話すら一般的ではないのだ。連絡先としてあるのは固定電話と住所のみ。
たとえばなにかの番組をご一緒する。番組中は頻繁に会う。が、番組が終わったあとは、とくに用事がなければ連絡をしない。それでも数年は問題ないが、お互い引っ越しをしたり、会社を変わったりすると、いつのまにか連絡先がわからなくなる。そんなのは当然だった。
とくに放送、音楽、芸能の業界は部署異動や会社の移籍、独立も多いので、それが顕著だと思う。
40年前の知り合いというのは、そういうレベルなのだ。

そんな方から、わざわざ人を介して連絡先を聞いてきてくれたのだ。それだけで十分嬉しい。
やがて、そのKさんからメールが来た。用件は、
「中島みゆきコンサートのパンフにショートショートを一本書いてくれませんか」
嬉しい上に、驚いた。

以前『長渕クンと世良くん』という番組を担当していた。長渕剛さんと世良公則さんだ。長渕さんは今のイメージではなく、当時は軟派なフォーク兄ちゃん。世良さんは硬派のロッカーで、ドラマ『太陽にほえろ!』に出始めた頃だった。お二人は同世代。そして私も同世代。ディレクターもそうだった。大人の男二人の同世代トーク番組。すごく楽しい番組で評判もよかったが、編成上の理由でわずか半年で終わった。

Kさんはその世良さん側のスタッフで、毎回収録時にお会いしていた。当時同じ事務所の中島みゆきさんの仕事もしているようで、ある時、
「青銅さん、『なみふく』になにか書きませんか?」
と言ってきたのだ。
「なみふく?」
「中島みゆきファンクラブです」
「ああ、それで『な・み・ふ・く』」
「ファンクラブの会報があるんです。そこに連載で」
私はもちろん、みゆきさんの曲は好きだし、当時やってたオールナイトニッポンも聞いている。が、その程度のファンなら世の中にたくさんいる。ファンクラブの会報になにか書けるほどの人間ではない。
が、それでもいいというので、
「喜んで!」
と引き受けた。

『長渕クンと世良くん』が終わったあとも、『なみふく』にインチキ小説みたいなものを載せてもらって、とても楽しかった。
が、それもいつの間にかなくなって………それから40年の、突然の連絡なのだ。しかも、私が星新一ショートショートコンテスト出身であることを憶えていてくれての依頼。
「中島みゆきコンサートのパンフにショートショートを一本書いてくれませんか」
「書きます、書きます!」
即答である。もちろん。

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