バランサーふたたび(あるいは、通説とJリーグと八百万の神)

私はラジオの仕事が多い。たぶん性に合っているのだと思う。もちろん、好きだ。だがしかし、だからといって「ラジオというメディアは特別に優れている」と思ったことはない。

私は落語が好きだ。落語脚本も書く。落語紹介番組もやっている。だがしかし、「落語は他の大衆演芸に比べて優れている」と思ったことはない。

私が書くものはドラマでも小説でも番組でも、総じて笑いの要素が強い。喜劇・コメディが好きなのだ。一般的に、世間では泣けるもの、真面目なもの、感動もの、恋愛もの、文芸色の強いもの…に比べ、笑えるものの地位が低い。それに対しては「泣けるものの方がエライわけじゃない」とフンガイする。
だがしかし、だからといって「笑えるものの方がエライのだ!」なんて思ったことはない。
よく演劇やドラマの世界で「人を泣かせるのなんて簡単なんだ。笑わせる方が難しいのだ」なんて言う人がいるが、それに対しても「そうかな?」と思っている。

「泣ける作品も笑える作品も、感動作も、社会派問題作も、その他のアレコレも…方向性が違うだけ。ジャンルに優劣なんてない。あっちは簡単でこっちは難しい…なんてこともない」と思うのだ。
あるのは、作品としての出来の優劣だけだ。

私には、なにか一つのものを特別視・神聖視するという感覚が薄いのだ。
これもまた、私のバランサー資質なのだろう。

日本人は一つの色に染まりやすい。なにか一つのものや考え方を特別視し、人物を神聖視すると、全体が一気にひとつの方向に突き進んでしまう傾向がある…というのが日本人論の通説になっている。
(たいていはその前段に「日本人は農耕民族だから同調性が強く」なんて枕詞がつく)

たしかに、私たちはブームや世評にとても弱い。
「いま〇〇が大人気!」と聞けば、こぞってそれに飛びつく。誰もがそのブームに乗って浮かれる。しかしやがてある時パタリと、憑き物が落ちたようにそれを捨て、次の「今度は△△が人気!」という世評に乗って突き進む。
まあ、ブームや流行というのはそういうものだけど。
この〇〇や△△を「スイーツ」や「ファッション」や「タレント」…などに置き換えて読むのはたやすいし、「~主義」や「~のトレンド」「世界標準の~」…などに置き換えることもできる。

日本の歴史を振り返って見ても、そういう傾向が見てとれる。私の浅薄な知識でも、近代以降は国を挙げての急激な西洋化、その反動の国粋主義、全体主義化、一億火の玉…と突っ走り、敗戦を機に正反対のアメリカ化、奇跡の経済成長、バブルに浮かれ、その反動で全体が過度に内向きに、その鬱屈からの日本スゴイ大合唱…と続いているのがわかる。

もう一度書くが、これが、
日本人は一つの色に染まりやすい。なにか一つのものや考え方を特別視し、人物を神聖視すると、全体が一気にひとつの方向に突き進んでしまう傾向がある…という通説だ。
だが、本当にそうなのだろうか? これに関して私はいつも、Jリーグと宗教のことを思うのだ。

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