ハコについて

引き出しの整理をしていると、小さな緑色の箱があった。だいぶ前に買った財布が入っていた箱だ。カッチリとしたきれいな箱だったから、
「何かに使おう」
と思って、とっていたのだ。
中を開けてみると、空っぽ。何にも使っていない。
「しっかりした作りのきれいな箱は捨てられない」
という、ハコあるあるだ。

いただきもののちょっと高級なお菓子の場合もそうだ。きれいな化粧箱とかオシャレなデザインの缶だったりすると、お菓子を食べたあとでも捨てられない。
「何かに使おう」
と思ってとっておく。
もちろん、文房具やなにか小物の類とか、散らばりやすいモノの整理に使うのだが、そんな用途は三つや四つもあればこと足りる。そのうち、きれいな箱を使うため、無理に中にナニカを入れるようになる。やがてそのナニカさえなくなり、ただ空箱をとっておくことになる。
「こんなにきれいな箱、捨てるのはもったいない。いつか使える」
と思って。が、そのいつかはやって来ない。
こうして、きれいな空箱がたまっていく。スペースの無駄。
ハコあるあるだ。

だいたい、ちょっと高級なお菓子、ちょっと高級な文具、スマホとかの小型情報製品、小物装飾品など、やや高価なものはいい箱を使っている。
中身の金額が高いとそれだけ箱にかけられるお金も多くなるから、しっかりとした作りのオシャレな化粧箱になるのだろう。
自分で買った場合は、そのちょっと高級なモノを買うかどうか迷い、吟味し、大枚をはたいてようやく手にいれた…という思い入れもある。空っぽのハコの中には、目に見えない「思い出」が入っているのだから、そりゃなかなか捨てられないわけだ。

しかし、大切なのは中身だ。ハコは(どんなにしっかりした作りで、きれいであっても)、しょせん入れ物、容器、ガワ、梱包材…にすぎない。中身がなくなれば無用なものだ。化粧箱業者の方には悪いが。
だが、捨てられない。やがて持て余して捨ててしまうだろうことはわかっていても、すぐには捨てられない。
安っぽいペラペラの箱なら、捨てられる。
この違いはなんだろう?

私は歴史に関する本を何冊か書いているが、毎度書きながら、そういうハコのことを思うのだ。

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