ひろクンのこと

『高橋ひろ メディアレモラス・イヤーズ リマスター・ボックス』というBOXセットが届いた。CD4枚とDVD1枚が入っている。
ソロデビュー30周年記念で発売された。残念なことに、急逝して18年になる。

なぜ私の手元にこういうものがあるのかというと、私は彼のデビューアルバムに何曲か、作詞でお手伝いをしたからだ。このセットにも入っている。
このBOXセットには分厚いライナーノーツもついている。それを読んで、私に詞の話が来たのは高橋ひろクンの発案だったことを初めて知った。そうだったのか、ありがとう!

以前、彼のことを書いたエッセイがある。『幸せな裏方』という本に収めたが、現在は絶版になっていてもう手に入らない。なので、ここに再掲しながら、さらに少しばかりの記憶を追加しながら書いてみよう。

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思い出すこと
 
初めて会ったのは、たしか麹町の日本テレビではなかったか? ぼくがちょうど番組収録中だったので、わざわざそこに来てもらったのだ。
高橋ひろクン。三十歳手前だが、まさに「クン」と呼ぶのにふさわしい好青年だった。ぼくはいっぺんで彼の人柄が好きになった。

※この日は連休中かなにかで日テレ周辺で適当な喫茶店が開いてなかった。3、4人でゾロゾロ少しばかり歩いて、たしかKFCに入ったのではなかったか? およそ初対面の打ち合わせに不似合いな場所で、お互いぎこちなくしていたオカシナ記憶がある。

あの「チューリップ」の後期メンバーだったというのは、ぼくは世代が少しずれるので知らなかった。今度、満を持してソロデビューする。ぼくがその作詞をお手伝いする、ということで会ったのだ。

デビューアルバムは「君じゃなけりゃ意味ないね」。その中のシングルデビュー曲「いつも上機嫌」をはじめ三曲の作詞をお手伝いした。「企画モノ専門作詞家」とみられていたぼく(自分でもそう言って面白がってたけど)に、普通のラブソングで声をかけてくれたプロデューサーI氏にも、それを受け入れてくれた高橋ひろクンにも感謝している。

※この、私の認識が違っていたということになる。ひろクンが藤井青銅という名前を出したのか。私の仕事を知っていて、その上でラブソングの依頼をしたセンスは凄いな。
実はこの少し前、私は大瀧詠一さんと企画モノ曲の作業をしていて「藤井クン、作詞ってのはこういうことなんだ」と教えてもらったばかりだった。私はヒソカに、それをどこかで試したいと思っていた。だから、依頼のタイミングがピッタリだったのだ。
経験的に、タイミングが合う仕事はたいていうまくいく。

「いつも上機嫌」がリリースされた直後、放送局で知り合いの女性ディレクターとすれ違った時、
「あの曲、青銅さんが書いたの? いいわね」
と褒められたのが嬉しかった。大瀧さんとひろクンの両方に感謝した。


彼はその後、「幽☆遊☆白書」のテーマ曲「アンバランスなKissをして」「太陽がまた輝くとき」でヒットを飛ばした。
以下、思い出すことを断片的に書く。

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