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博士と共に歩む人生 第一楽章 その2

メキシコ国費留学

スペイン語を勧めてくれたのも父でした。
外国語大学を受験するにあたって
何語を選択したら良いのか迷ったからです。

「英語、ドイツ語、フランス語を学んでいる人は多い。
世界でスペイン語を話す国はたくさんあるが、
スペイン語を学んでいる人は少ない。
将来性があるのではないか?」

年に3回海外旅行をしていた
父の助言によって、
スペイン語学科を選択したのでした。

それが正解かどうかは、
今だに懐疑的です。

さて、その後、メキシコ合衆国
ハリスコ州立大学へ国費留学しました。
その時、初めて父と離れて過ごしました。


あまりにも日本と異なる文化に
ショックを受けつつも、
自分の中に眠っていたラテン的なものが
目覚めた感じがします。


(メキシコ留学中の思い出は
また別のテーマで綴りますね。)

父とのデート

留学を終えて帰国し、また、
大阪から京都へ往復3時間かけて
大学へ通っていました。

そんなある日、父がスペインレストランに
誘ってくれました。
客は誰もいませんでした。
お互い別々のメニューを頼みます。

お店の人は、少し困った感じに見受けられました。
それを察知した父と私は、
瞬時に、お互いに、お互いのメニューを
同時に注文したのです。

二人とも、
お店の人の作る手間を
慮って、同じメニューにしようと
考えたからでした。

それを知ったお店の人は
笑いながら、
元の別々のメニューを
用意してくれました。


メキシコで就職決定!



ある日、就職活動中に、
自宅へ国際電話がかかってきました。

その時、私は銀行へ出かけていたのですが、
診察中に、外国人からの国際電話を受け取った
父は何と「娘は今いないので、かけなおしてください。」
と言ってくれたのです!

その結果、すぐに
メキシコでの就職が決まりました。

「再び、メキシコへ行って仕事ができる!」
と飛び上がって喜んだ私を見た父は
「あれほど嬉しそうな小夜子の顔を見たことがない!」と言って、
あっさり、海外就職を認めてくれたのです。


前回、留学生としてのメキシコ行きは
「あまり父から愛されていないのではないか?」と思えて、
それほど嬉しくはなかったのです。


しかし、今回、「スペイン語を使って就職したい!」
と強く思っていたのです。
それに、留学中にラテン的な要素がすでに芽生えてしまっていたので、
意気揚々として再びメキシコへ渡ったのでした。

(続きます)

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