これをわたしの遺影にするわ
母が急に、
ホテルのアフタヌーンティーセットを食べてみたい、
死ぬまでにいちどは行ってみたい、
と言うので、予約して行ってみることになった。
今まで興味がないわけじゃなかったけど、なんとなく機会がなかったし、
とにかく少食親子なので、食べ切れるかなー、と言いながらいつもなんとなくそれきりだった。
母に半年ぶりに会うので、せっかくだから渡すものをいろいろ見繕っているときにふと、線香用のチャッカマンが出てきた。
それは父が6年前に亡くなったとき買ったもので、その頃はお墓の近くに住んでいたために、よく使っていたのだった。
けれど東京に引っ越してきてから、お墓に行く機会が減ってしまい、わたしが持っていてもなあ、と思って、なんとなくそれも母に渡すことにした。
さて当日。
運ばれてくるティーセットが果たしてどんなものなのか、どぎまぎしていた親子だったが、実際みてみるとおいしいものが少しずつ、というまさに夢のような世界。
かわいいー!とテンションがあがって、写真をたくさん撮ったり友達と旅行に行ったときの話をしたり、しばらく乙女な世界を楽しんでいたのだが、ふとチャッカマンのことを思い出して、そういえばこれ使う?と渡すと、
これ、昨日ちょうど壊れたところだった!
お墓でつかなくなっちゃったの!
と母が言った。
あ、よかった、ちょうどいいタイミングだったなー、と思っていたら、
母が急にかしこまって、
あんたに話さなきゃならないことがある。
と切り出してきたので、おや?と思った。
母は決然と、
お金はいまこれくらいあるからこういうふうにしなさい、
お墓は空きがあるから入りたければここに入りなさい、
と、とても具体的なことをはっきりと言ってきたので驚いた。
そのときなぜかふいに、これは今、父が同席しているのではないかな?と思った。
チャッカマンも、父が持たせてくれたのでは、と。
父が亡くなってから、そんなふうに思う場面がいくつもあった。
父が夢枕に立ったこともあった。
最初はうそだろう、と思ったけど、妙なリアリティと心の深い部分の確信はなぜか消えなかった。
だからしだいにそう信じることが自然になった。
父は病気がわかったとき、すぐにわたしをよびつけて、遺影を撮る、と言った。
まだ誰も死ぬとも思わない元気なときだったから、家の庭でふざけたままガッツポーズで撮った。
それを見た父の会社の人たちが、静かに泣き崩れたことを覚えている。
決然としていた母だったが、話し終えるとすっきりしたのかまたいつもの自由な母で、タッパー持ってきたけど持ち帰れるかなあ?みたいなことを言うので、さすがにそれは、と思いながらもほっとした。
まんぷくになってそろそろ帰ろうかという頃に、今日撮った写真を母に見せていると、母はあっけらかんとこう言った。
「これをわたしの遺影にするわ」
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