見出し画像

天才を殺す凡人、凡人を作り出す社会


エジソンの母ナンシー

歴史に残る発明家トーマス・エジソンは、
子どものとき「この子は知恵遅れ」と言われ、
落ち着きがない、などと言われてしまいました。

しかし、母のナンシーはエジソンを学校に通わせずエジソンのたくさんの疑問を一切否定せず、一つひとつ一緒に考えていきました。

ここでエジソンが普通に小学校に通っていたら、エジソンは凡人になってしまっていたかもしれません。

私の子ども時代  

幼稚園のお遊戯会や運動会では、みんなよりもワンテンポ動きが遅い。
常にボーッとしている。
やることを覚えられない。みんなと違う方向に行ってしまう。とにかくみんなと一緒の行動ができない。

小学校に入ると、初めての授業で自分の名前を言った時、「声が小さいね」先生から言われました。
そうするとその日から私の印象は「声が小さい子、おどおどしている子」という印象になりました。
それから言われたことが、
「字が汚い、鉛筆の持ち方がおかしいからだ。ノートの書き方が汚い。」

「机の中やランドセルの中が汚い。」

そこから私の印象は、「汚い子、だらしない子」になりました。

初めてもらった成績表には、
「宿題や物忘れが多く、先生や友達が話しているときに、他のことを考えていることが多いので、みんなと一緒に授業に取り組むことができないことがあり残念です。おうちでも、忘れ物がないか見てあげてください。」
と書かれていました。

確かに授業中は、何も言わずに席を立ってトイレに行ってしまって怒られたり、ランドセルは重いのになぜか教科書やノートなんてほとんど入ってません。
ランドセルを忘れて登校する日もありました。

宿題もやってこなければ、出たことも覚えてないし、宿題をメモしたとしてもそのメモを書いたことすら忘れてしまいます。

授業中はドラえもんの道具があったら、とか
私が○○だったら…みたいな空想を確かずっとしていました。

おまけに集団登校の時間とか、授業がはじまる時間とかも守れません。

劣等生の出来上がりです。
学校じゃなにもできません。

怒られるか、否定されるか、呆れられるか。

その中で、私が家庭でも学校でも
1番苦しめた言葉が、

「普通」

です。

私はあらゆるところで、おかしいと言われました。

こういうとき普通は〜する。

電車の中はじっとしてなさい。
止まりなさい。落ち着きなさい。
キョロキョロしない。

お箸の持ち方がおかしい、持ち物がおかしい、物覚えが悪いからおかしい、宿題をやってこれないからおかしい、毎日頭にリボンをつけてくるのがおかしい、女の子なのに男の子ばかり遊んでるからおかしい、なんでこんなこともわかんないの

とりあえず色々なことをおかしいって言われました。

大きくなるに連れておかしいと言われることが増えていきました。

おかしい、気持ち悪い、と言われ
いじめられることも仲間外れになることもあり、友達もいませんでした。

考え方がおかしい、発想がおかしい。
そんな普通じゃない私を持った母は、
学校の先生や近所の人から、たくさん責められました。
すごく苦労したと思います。

そして母から言われる普通のことに苦しんだりしました。
みんなそうしてるんだよ、普通こうなんだよ、そういうもんなんだよ。
じゃあ生きていけないじゃん、私。
そう思ってきました。

普通ってなに?誰が決めたの?なにが基準?

そんな中で私は自分がほんとに嫌いになりました。私はなにをやってもダメな人間だ、
私がいるから人を苦しませる。
私という存在が許せなくなりました。

そして、「こんな私は人から愛されるはずがない。」と思うようになりました。

「普通じゃないから愛されない」
「普通のことができないから周りにいる人みんなを不幸にする」

どうせ私なんか、私だから仕方ない、私なんてこんなもん。

なにか人から酷いことをされても、
人を責めることはほぼなく私だから仕方ないよな。私なんか大事にされるわけないからこういうことされるんだ、当たり前だ。

たぶんそんなことはなかったけど、
その発想が自分の周りも苦しめました。

そばにいてくれる周りの人の温かい言葉を何か裏があるんじゃないか、
この人はほんとはどんなことを考えて私に近づいてるんだろう。

中高生になると、そんなことばかり考えて勝手に誤解して相手の気持ちを踏みにじりました。
そして人と縁が切れていきました。 
そしてまた自分が嫌いになりました。

どんどん自己否定を繰り返して、
普通なことができない私はこの世界で生きていくことはできない。

でも、私にだってきっと取り柄があるはず。
だけど、それはだれにもわたしにもわからない。それはすごく悲しいこと。

人は失ってから気づくもの。とよく言います。
あらゆる分野の天才が生きてる間はあまり脚光を浴びることなく、この世を去ってから評価されることがあるように、
私が死んだら私のすごさをわかってもらえるんじゃないか。

色んなことを思って、死を選びました。
だけど死ねませんでした。

辛いことの先に幸せが待ってるなら、
1番辛い死に方をしたらあの世では幸せになれるんじゃないか、とかなんかもうよくわかんないんですけどとにかく色々なことを考えて頭がぐちゃぐちゃになりました。

起こるひとつひとつがこの世のあらゆる仕組みと無念さに繋がりました。

凡人のクラスメイトたち

私は走るのが早い方だったので陸上部に入りました。
中学や高校の体育祭では毎年クラス代表でリレーの選手に選ばれていました。

クラスメイトたちはリレーに熱が入ります。
応援してくれるのは有り難いけど、結果につべこべ言ってきます。

私が1位で走る年もあれば、そうでない年もありました。
中学1年生の体育祭では、全学年のクラス代表を集めたリレーで1走になって、私はその中で最下位で走り、そのチームは最下位でした。

それを走ってもいない人たちが、
「あいつ陸上部のくせに遅い」
「あいつが遅かったから負けた」
と責めてきました。

この状況では、私は選ばれたから走っている人間、他の人は凡人です。

でもその凡人の声が私を落ち込ませました。
今の私だからこんな言い方ができますが、
自分が嫌いだった私は、陸上部なのに…ほんとだよね…落ち込みました。

こう考えると、オリンピック選手やスポーツ選手なにかの代表になってる人、活躍している芸能人本当にすごいです。
何千万といる凡人に色々なことを言われながら頑張ってるんです。

残念ながら、SNSなどの誹謗中傷を苦に自殺してしまう天才もいます。

人は色々な一面を持っています。

ある面では凡人、ある面では劣等生、ある面では天才かもしれません。

前の記事でも書いたけど、健気に生きてるだけで人に幸せを与える。これも才能です。

人は誰でも辛い思いをして泣いたことは一度は必ずあるはずです。
それを乗り越えて生きてるのもすごいんです。
誰でも絶対に優れてる部分はあります。

それなのに、その人の才能はぶっ潰すのはいつだって凡人です。
力の強い天才だって、何人もの凡人がいたら潰されてしまうかもしれません。

人の不幸は蜜の味

私はこのような事実に気付いてから、世の中に対して怒りがすごく沸きましたが人の仕組み上仕方ない部分もあるのもわかります。

シャーデンフロイデ」とは、
誰かが失敗したときに思わず起こってしまう喜び、他人を引き摺り下ろす快感のことです。

これを感じてしまったとき、人は罪悪感を感じてしまうかもしれません。
だけどこれは誰にでもある感覚です。

しかしこの感情が生まれる頻度や大小は人によって違います。

正直当時の私もこう思っておきながら、
かなりの頻度で感じていました。
だけど今は感じることはないです。

違いはなにか?

自分の自信のなさです。
自分を信じることができないから、人からの評価でしか自分の価値を図れず、人と比べます。

その中で嫉妬や色々な感情が産まれます。
相手を下げて、自分を安心させます。

つまり、私を否定してきた人たちも自信がなかったんです。

私は学校という環境ではかなりの劣等生でした。そんな私を見て安心したクラスメイトがたくさんいたはずです。

みんな同じ教育

そもそも、社会が凡人を作り出すシステムです。
みんなと同じことをしてたら評価されるシステム。

私はなんでみんなと同じことができないの?
とよく言われました。

平均的じゃないとダメな子、自信を無くさせます。

みんながやってることで優れてる子ばかりが評価されます。
みんながやってることができない子は冷たい目を向けられる。
勉強ができる子、できない子はそれだけで自分には価値がないと思わせてしまうような教育です。

子どものうちからこんな教育だから、
大学に行って、大学を卒業したら一流企業に就職したら親孝行。みたいな発想の人が多すぎます。
結婚して子どもが産まれるのが幸せとか。

それももちろんすごいことですが、
それだけが全てじゃない。

夢を語れば「現実を見なさい」、「お前がそんな事できるわけない」

子どものやりたい事、夢を潰してる大人が多すぎます。

幼少期の経験は一生良くも悪くも引きずります。そんな大事な幼少期を、世間の言う普通を押し付けるから人の才能を殺すんです。

本当はもっと、子どもの疑問や子どもの夢に大人は向き合ってあげるべきです。
その疑問や夢を認めて褒めてあげるべきです。

特に子どものうちに大げさに小さなことからたくさん認めてあげてほしい。

人はみんな神様の子どもです。
その神様って両親のことです。

そして大人が作った社会環境で生きていくしかありません。選択肢もないんです。
だから生きていきやすいように私たち大人が導いていかないとダメです。

だけどそれがやりずらい社会だから、凡人が産まれて人の才能を殺し、凡人ばかりの世の中になります。

人として本当に大事なことってなんですか?
数字ばかりで判断するんじゃなくて、もっと色んなことで人を評価してほしい。


やりたいことを見つけられること、興味を持つこと、疑問を持つこと
夢を持つこと、それがどんなに素晴らしいことかわかってる大人がどのくらいいるか。

幸せの形も、普通も、常識も、才能もみんな人それぞれだってことをちゃんともっとわかってほしいです。

人を評価する部分は一つじゃない、
お金を持ってることでも、友達の多さでも、資格の多さでも、どんな仕事をしてるかでも、
たった一つだけでその人の評価にはならない。

頭でわかってる大人は多いと思います。
心の底から思ってますかね。
意外と心の底でわかってることと、頭でわかってることって違ったりします。

自分に自信があれば、人を否定する必要なんてありません。
でも自信を持つことが出来づらいです。

自分に自信を持っていて、人をちゃんと評価できる大人がこの世の中にはどのくらいいるんでしょうか?

私が自分を取り戻した方法

人に影響されやすかった私は、人からの評価でしか自分を評価できませんでした。
でも自分に自信が持ちたくて、色んな努力をしてみました。

部活を頑張って賞をとったり、資格をとったり、勉強を頑張ったこともありました。
向き不向きはやっぱりあったので、
結果が出たものも、出なかったものもありました。

だけど資格をいくつとっても、賞をとっても、評価をされても自分に対する劣等感は変わりませんでした。

頑張ってそれを評価されたはずなのに。

これは私が人からの影響を受けやすかったから、やっぱり親しい人や尊敬できる人の評価がないとイマイチ確信が持てませんでした。

私はそういう性格だったので、色んな人と会って話して、人脈を広げたりして
コミニュティが変わると自分を評価してくれる人ができてきました。

やっていた仕事でも、私の変わった発想を評価してくれる場所ができました。

そうやって人の力を借りて少しずつ自分自身を肯定できるようになり、私自身も人を否定することがなくなってきました。

そのときに、私を否定して心を殺してきたのは凡人で何も気にすることはなかったんだと思いました。

私を評価してくれた人たちは人のいいところや才能を引き出す天才でした。どんな人でも見つけてました。

それで絶対に人は優れてる部分が、誰しもあると感じました。
凡人にされてるだけで、本当に勿体ないです。みんなどこかの分野での天才です。才能があります。それを別の分野の凡人に殺されています。

みんながみんな私と同じではないけど、
自分のいいところが見つけられない人はそういう人を見つけて、絶対にいいところがないはずがないので人の力をぜひ借りてみてほしいと思います。

そしてもっと人のいいところを見つけてあげる手助けができる人が増えてほしいと思います。

やっぱり客観的な評価がほしいし、わかりやすいから。

また、そうなれたとき自分の本当にやりたかったことが見えてきたりします。

意外と自分が考えたこと、本心が違ってたり。
自分の本音をもっと聞けるようになると思います。


お願いしたいこと

仲の良い友人や周りの人が落ち込んでしまってネガティブになっている時、
精神状態が悪くなっているとき、
その人の精神状態がいい姿を知っている人、
本来のその人を知っているが側にいてあげてください。

もちろん自分に余裕ないとそれはできないと思うけど、
その人が、本来の自分を取り戻せる手伝いができるのって本来の自分を知ってる人しかいないんです。

そんな人に裏切られたりしたら、もうどうしようもなくなっちゃいます。
自分の力で動けなくなったりしてます。
だって、頭や精神や身体が正常に動いてないから。

介護と同じです。
健康な人が助けてあげましょう。

そこで手を差し伸べてあげられるのも、才能です。
それができて友達や周りの人を救ってあげたら自分の自信にもなると思います。

お子さんを持つお母さんお父さんは、
お子さんの全てを受け入れてあげてください。

お子さんのために頑張ってお子さんのことを色々考えているから、周りの声や育児書に惑わされてしまうかもしれないけどそんなものはただの目安で知識でしかなく、何にも気にする必要はありません。

人として大事なことを一緒に考えて学んで教えてあげたり、教わったりしたらいいだけです。

シングルで頑張ってる親御さん、子どもに苦労をかけてしまってると思ってる方もいるかもしれませんが、目に見える真実だけが全てではないです。

こうだから幸せでも、不幸せでもないです。

その環境の中でも両親の背中を見て、感じています。今伝わらなくてもいつか伝わります。

子どもにとって、親や神様です。
その親を悪いものだなんて思っていません。
言葉で言うことはあるかもしれませんが、心の底から思ってることではないと思います。

神様の子どもだから。

大人も、病気や怪我をしたときどんな不安でも病院の先生の言うことを信じて治療するしかないですよね?

だから、産まれたときはみんな両親を神様だと心のどこかで思ってるんです。
その神様を信じるしかないです。

大人が自分や人に嘘ばかりついてるから、
子どもが傷ついてまた嘘をつくようになるんです。そしてこの世が嘘ばっかりになるんです。

そして嘘ついたほうも苦しいんです。
愚かすぎます。
大人が真実から逃げなければ、救われる子どもがたくさんいます。
そういうことに気づける大人が増えてほしいです。

大人が子どもに嘘ついたら、子どもは大人に嘘をつきます。
当たり前です。
親子関係にだって信頼関係が傷つきます。
自分のしたことは自分に返ってくるんだから、そんなの当たり前です。
嘘って悲しい、ほんとに悲しい。
もっとみんな素直に着飾らずに生きてほしい、それだけでほんとに人に幸せを与えられます。
子どもも大人もですよ!
私は嘘ばかりで絶望してた世の中で、
子どものそんな心に何度も救われてきました。

でも神様を嫌いになりたくないから、なにかあると自分を責めるようになったりします。
それがそのあともずっと影響します。

だから、嘘をついたり裏切ったりしないでほしいです。
神様に裏切られたら、神様を嫌いになったらもうこの世が嫌いになるし、なにも信じられません。
簡単に子どもの夢を奪わないでください。
例え失敗をしても気持ちは子どもに伝わるし一緒に学べるから考えすぎず、こどもをたくさん認めてあげて寄り添ってあげてほしいと思います。

人として大事なことって結構こどものがわかってたり、こども向けの童話にヒントが隠されてますよ。
そうしてあげたほうが親御さんももっと楽に子育てができると思います。

私にはそういう力があるので、
前の私のような状況の人を救ってあげたいと思って、この記事を書きました。

落ち込んで誰も周りにいなくなってしまったら、占いでもスピリチュアルでも普段ならしんじないものでも、なにかしらに頼って。
意外と発見があるかもしれないから。

人に危害を加えたり傷つけたりしなければ、
生きてることができたらなにをしてもいいと思うのでそんな中で生きてる自分を褒めてあげてください。

自分に価値がないと思う人も、自分のことを客観的に見ることができる、それも才能です。

人は才能に溢れてます。

あ、傷つけたり危害は加えちゃだめだけど、
人に迷惑はかけていいです。

人は支え合って生きていくものだから、
自分でできないことは人の力借りていきましょう。

自分の身近な人や好きな人、親しい人に理解してほしいからそこを変えれなくて辛いけど、

今いるコミュニティーを抜け出して広い世界を見たら理解者は必ずいるし、価値のない人も、今辛い人も、死にたい人も諦めずに頑張って今を乗り越えて生きてほしいと思います。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?