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美しく、気持ち悪く完成されたもの(クリスチャン・ボルタンスキー@国立新美術館)

気持ち悪い現代アートが好きです。
居心地が悪いということは新しい環境ということだから。

現代アートでいうと、物理的に展示で吐いたこともあるし、気持ち悪すぎて見てられなかったことは何度もある。
(吐いたのはKusamatrix@森美術館 2004年)

クリスチャン・ボルタンスキーの国立新美術館での展示をやっとみてきました。

彼は、パリ出身のアーティスト。1944年、第二次世界大戦の際にナチスからパリを解放するレジスタンス下のフランスで生まれた。父親は年単位で床下の隠れていたという。
私はずっとそんなディテールを知らずに彼の作品を見ていた。今回、ドキュメンタリーフィルムが地下1階で公開されているのだが、それで初めて知った。
自分の家族の写真ではなく、他人の家族写真や成長を追った記録を展示することには、強迫的に他人の写真を飾ることには意味があったのだ!なるほど。

今回の展示は日本では過去最大の回顧展で入り口には「DEPART」(出発)の電飾。そして初めての映像作品から始まる。これがはちゃめちゃに気持ち悪いんだ!
肌を這うように感覚を刺激される映像。なんでもないような数分の映像に見えて、ぞわぞわと見るものを刺激する。静かに見ているこの人たちは何を考えているのだろう?

クリスチャン・ボルタンスキーを見るのは瀬戸内国際芸術祭に行った際に豊島でみた「心臓音のアーカイブ」と「ささやきの森」以来だった。
今回も「心臓音のアーカイブ」のバリエーションが展示されている。
タイトル通り、人の心臓音を録音してその鼓動に合わせて電灯が点滅する。さらに顔写真が曖昧なモノクロで照射される。

一貫して、暗く統一された作品群。
「喪」を思わせる。
記憶、人間、記録、こんなキーワードの意味を強く強く感じてしまう。

薄暗いものを、気持ち悪く表現しているのに基本的に美しいと感じてしまう。
感覚的にはすっきりとして出られるのもこの美しさゆえだろう。

美しくも気持ち悪く完成されている作品を感じて、
西洋的なコンテキストと感覚を、私も共有しているのだという気分にさせてくれる。現代を生きる、ということ、だと思った。

冷房の効いているはずの展示の中で、管理保存のための温度湿度管理が、じっとりと感じてしまう。

ところでなぜモノクロのぼんやりした人物写真を見ると一貫して死を感じてしまうのだろう?
ポジティプな記憶がモノクロ写真になさすぎるからだとは思うのだけど、それ以上の何かがあるのだろうか?

クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime
2019年6月12日(水)~9月2日(月)
国立新美術館 毎週火曜日休館
https://www.nact.jp/exhibition_special/2019/boltanski2019/
長崎県美術館、 2019年10月18日(金)~2020年1月5日(日)

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