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マンションのベランダのセミを放置していた顛末


夏の終わりのことでした。
一匹のセミがマンションのベランダに迷い込んできました。
私は大の虫嫌いで、どうか飛んで行ってくれと願っていました。
数日経ち、ベランダに設置しているごみ箱の付近で死んでいるのを発見。
<まさか>です。どうしようと思っても怖くて直視する事もできません。


セミ、放置される


ちょうど側溝に隠れるように位置しており、見なかったことにしようと思いました。

もしかしたら、なんかの拍子になくなってしまうのではないか。
もしかしたら、風化して消えてしまうのではないか。
冷静に考えるとコンクリートで風化されるのは難しいと分かるのですが、見たくない、触りたくない、近づきたくないという気持ちが、
<きっと、いつの間にかなくなっているはずだ>という都合の良い解釈をしていました。

7歳の長女にも夫にもベランダで死んでいるセミの話をするも、家族全員が大の虫嫌いなのです。どうにかしようという人は誰ももいませんでした。


そして、時が流れました。
普段はあまり気にしないのですが、心のどこかに死んだセミがいることを知っていて、ベランダがどこか居心地悪く感じる時もありました。それでも見ないと決めていたので、目にすることはありませんでした。
たまに、長女が、「まだセミがいる」と嫌な顔をして教えてくれ、「そうか、まだいるのか」と内心がっかりするのでした。

そして、遂にこの時期が来ました。
そうです、年末の大掃除です。ベランダを気合入れてキレイにするのはこの大掃除の時くらいです。セミの存在により、今年はこの大掃除が億劫でとても憂鬱な気分でした。ベランダ掃除をするには水も使うので、あまり寒くなりすぎても辛いものです。12月の上旬くらいから気になって天気予報を見ていました。すると、中旬以降、寒さが厳しくなる様子。


セミ、撤去される

寒さがくるという日の前日、ベランダ掃除を掃除すると決めました。そして、ついにベランダ掃除にかかります。
何といっても一番の難所はセミの撤去です。
誰が? もちろん私でしょう、、
どうやって? トイレットペーパーをぐるぐるにして掴み、透明ではない袋にぺーバーごと入れよう。

くじけそうな心を鼓舞して、いざベランダへ。数ヶ月ぶりに目視確認。
数ヶ月と全く変わらない姿に驚く。やはり土に還ることはできても、コンクリートの地面には不可能だった。そして、この硬い地面には微生物も何もいないのだと思い知る。少しは小さくなっている姿をイメージしていたので心底驚きました。

セミの感触を感じなくて済むように、トイレットペーパーをぐるぐるにして、位置を確認した後は見ずに掴む。そして素早くビニール袋の中へ入れる。やはり紙越しに多少の存在感を感じて気持ちが悪いが、やると決めたらこんなにあっという間にやれるのだ。

数ヶ月も放置せずに、さっさとしておけば良かったと思う。そして、数ヶ月も放置してしまったことへの罪悪感もある。こんな硬くて冷たい場所に放置され続けたセミがとってもかわいそうな気持ちになりました。


このセミをどうしよう。きっと燃えるゴミにいれても誰にもとがめられるわことはないでしょう。でも、せめてもの罪滅ぼしに土に還してあげたいという気持ちになったのです。子どもたちにも何か感じてもらえるかもしれないという気持ちもありました。


大切な記憶


そして、一つの記憶がよみがえったからというのも大きな理由でした。
私は屋久島が好きで度々足を運んでいた時期があります。1人旅で民宿に泊まり、そこで出会った人たちと一緒に登山したりしていました。初めて屋久島に行った日、たまたまとても屋久島に詳しい人に出会って、特別な場所に案内してもらうことになったのです。その山は今まで見てきたどの山よりも自然の循環を感じることができました。

苔むして湿気を含んだ空気、倒木から新しい芽が出ている様子。落ち葉が積もりふかふかしている土壌。土と緑の薫り。
<死ぬことは怖いことではないのだ>と思えるくらい、朽ちて豊かな土壌に還ること、そしてそれがまた新たな生命につながることが、肌で感じられて腑に落ちたのです。

そして、屋久島から日常に戻ります。会社に出社する途中の街路樹や、アスファルトの上に落ちた落ち葉たちが行き場なく風に舞っている様子にとても心を痛めたのでした。

普段だったら、ある秋の景色のひとつでした。でも、あの自然の循環を見た後、落ち葉が土に還りたがっているように感じたのです。

あれから10年以上の歳月が経ちましたが、コンクリートの上のセミが、あの日の落ち葉のように感じました。

そうして、セミを土に還そうと決めたのです。
そうなると適当な場所を探さなくてはなりません。公園といっても埋める程のやわらかい土があるところって意外と少ないものです。どうしようかと思っているうちに数日経過していました。
正直、ちょっと忘れていた。
<セミさん、袋の中でごめん>


セミ、土に還る


数日後、最終的に近所の大きい公園へ持って行きました。

「なんで埋めるの?わざわざ持っていくの面倒くさい」と長女。
「セミさんゴミに捨てられたらかわいそうでしょ。土に埋めてあげよう」と言うも、数ヶ月べランダに放置し、更に袋の中で数日放置してしまったので説得力がない。

公園に到着して全体を見渡します。公園の端っこの樹木が茂っている場所にターゲットを絞りました。人もほとんど通らない場所です。
しゃがみ込み、背の低い樹木の根本の土を掘ります。ちょうど秋からの落ち葉が積もっていて、土を触るとほろほろとしていてやわらかい。
<セミを埋葬するのにぴったりの場所だ>と感じました。

穴の中に向かって袋の中身を振り入れます。セミとトイレットペーパーが出てきました。やっぱり怖いのでセミをなるべく見ないようにしながら、そっとトイレットペーパーを取り除きます。うまいこと穴の中に入っています。

長女に、「ほら、土をかぶせてあげて」と言うと、「うえっ」とか言いながら、足で土をかけるのです。
<なんという罰当たりな>と思いながら、「こら、ちゃんと手でかけてあげて」と声かけます。全体に土をかけ小さな石で墓石を作ります。

これでセミも無事に土に還ることができると思うと、安心感と静かな感動がありました。

長女は始終興味なさそうにしていましたが、もう母の自己満足でいいのです。こうして、家のベランダもキレイに掃除をし、セミも埋葬できたことで、心置きなく新年を迎えることができました。

今も、やわらかい土の中で眠っているセミを思うと、優しい気持ちになれるので不思議です。


お読み下さりありがとうございました。

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