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100歳のおばあちゃんの手を握りしめて

実家に帰省して庭でBBQをしました。
100歳の私の祖母も宅老所から一時帰宅。
孫やひ孫達に会えてうれしそうにしています。

このご時世で面会できない期間もあり、
お正月ぶりの再会です。

2歳と100歳


もう私の事も、父の事も、ひ孫のことも
誰が誰だか分からない状況です。
それでも、小さな子供と老人って
なんだか通じ合うものがあるようです。
2歳の娘もひいばあがとっても気になっています。

みんなですいかを食べる時、
2歳の娘に「ひいばあに食べさせてくれる?」
と聞くと「うん」とうなずきました。

すいかをフォークに刺して、
「あーん」と食べさせたら、
ひいばあもぱくりと口に入れ
「ありがとう」と大きな声で言ってくれていました。
娘もお世話ができて得意顔です。

小さく切ったお肉も美味しそうに食べていて、
100歳でもこんなに元気でいてくれることに
嬉しい気持ちになりました。


楽しい時間は過ぎて

楽しい時間が過ぎ宅老所に戻る時間になりました。
「そろそろ行きましょう」
という声かけにも
「行かん」
と言って動こうとしません。

記憶の中のおばあちゃんは
礼儀正しく勤勉で
人に迷惑をかけるようなことは
絶対にしない人でした。

何とか車まで移動して隣に座ると
おばあちゃんの目が潤んでいました。

私はおばあちゃんが泣いているところを
見たことはありません。
おじいちゃんが亡くなった時でも
涙を流したりはしませんでした。


おばあちゃんの生い立ち

おばあちゃんは大正生まれて
とても苦労をしたと聞いています。
直接おばあちゃんから聞くことは
なかったのですが
「おしん」のような半生だったと聞きました。

自分が生まれた時に
お産の影響で母親が亡くなっています。
7人兄弟の末娘だったおばあちゃん。
おばさんの家に引き取られて
育てられたのです。
おばさんの家も7人兄弟だったこともあり、
愛情をかけて育ててもらうのは
難しい状況だったのではと想像できます。

なにより、自分の出生の時に
母親を亡くすことが
どれだけ深く傷ついただろうと
胸が痛みます。
自分を責めてしまった時も
あったんだろうなと。
そしておばさんの家でも
迷惑をかけないように
一生懸命生きてきたのだろうと思います。

おばさんの家が商売をしていて、
いつも忙しく、ご飯を一人で食べていたと
聞いたことがありました。

戦争も経験している世代なので、
とにかく必死に生きてきた
そんな半生だったのだと思います。

だからこそ、余計にこの状況が切なく
おばあちゃんの気持ちを思うと
胸が痛みました。

私にできることは

そういえば、子供を保育園に預ける時も
そんな切ない気持ちになったことがありました。
でも我が子にはまたすぐ会えるという事が分かっています。

おばあちゃんは、高齢ということもあり、
このご時世もあり
次にいつ会えるのか
確かなものはありません。

おばあちゃんも
会えるのがいつ最後になるのか
心細いものがあるのかもしれません。

私ができることは
ただ隣に座って
手をしっかりと握りしめることくらいでした。
それでもその手からたくさんの
「ありがとう」を伝えることができました。

両親が共働きで
おばあちゃんにたくさん面倒をみてもらいました。
改めて本当に愛情を注いでもらったことに
感謝の気持ちです。

宅老所に着くと
いつものお利口さんの
おばあちゃんに戻っていました。

今年の夏に
親族で100歳をお祝いする
温泉旅行を計画しています。

おばあちゃんとの
楽しい思い出を一つでも
多く作っていきたいと思います。


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