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奥浜名湖往還-寸座の月-

中秋の名月といえぱ、思い出されることがある。それについて語るには、まず私が老眼鏡を誂えてきたところから話を始めねばならない。
 7年ほど前だったと思うが、地元の眼鏡屋さんで人生初の老眼鏡を作ってもらった私は、帰宅後に早速使おうとケースを開けてみた。すると眼鏡の下に黄色のメガネ拭きが敷いてあり、ひろげてみると浜名湖の岸辺に椰子の並木がある風景(版画)がプリントされていた。隅には「寸座の夕暮れ」という風に書かれていたように思う。確か昔の寸座ビラ(ホテル)にこんな感じのところがあるねぇ、などと話をしていたら、部屋の傍らに居た父がこう呟いた。
「寸座の月-(というのがある)。」
 寸座(すんざ:旧引佐郡細江町)は浜名湖北岸に里の山が迫るところ、入江の深い景勝地であり、寸座峠を西に越えると三ヶ日町佐久米に至る。いわゆる名所であることは承知しているが、初めて耳にする言葉だった。浜名湖八景に選定されているのかと思い訊ねたが、父が何と答えたのかは記憶になく、寸座(地区)の何処の地点から観た月を指すのかも聞かれなかった。その時の会話から一年余りして父は病で世を去った。
 後の年に、中秋の名月が巡ってきたある日。私は国道362号線が通勤路になっているのだが、午後6時頃、会社帰りに湖西市から三ヶ日町の都筑交差点を経て寸座峠に差し掛かったその時だった。尉ヶ峰から南下する尾根の末端付近、切れ落ちた寸座峠のシルエットの狭間に煌々とした満月が大きく貌(かお)を覗かせたのだ。その瞬間、父の言葉が私の脳裡によみがえった-「寸座の月」。あの時の覚醒にも似た驚愕は、今なお私を捕らえて離さない。
 五年の歳月が過ぎた今年、私は誰にも話さなかったこの事を母に話して聞かせた。
 母はたいそう喜んで「きっとお父さんが見せてくれたんだよ」と言ってくれた。私が「お父さんの言った事って、後々に残るんだよね」と、半ば独り言のように呟くと、母は大きく頷いた。「お父さんは、いろんな事を知っていてね、工具の使い方なんかも順序立てて念押しするように教えてくれたんだよ。それが今になって何かと役に立ってる。お父さん、そんなに言わなくても…とか思ったりして忘れちゃったことも結構あるけどね。もっといろいろ聞いておけばよかった。だって、お父さんがこんなに早く亡くなるなんて思わなかったもんで…」
 あの時の父は繰り返し、呟いた。「寸座の月-」

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