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本のアンソロジー 「霧中の読書」      荒川洋治 著

-「現代詩作家」との書評の出会い-

 その年の2月から7月中旬にかけて読んだ本の冊数は(時間の有る無しに関係なく)少ないのだが、最も印象に残り、書評という名の本の面白さと言葉の巡礼を満喫出来る魅力を感じたのが本書であった。

 この本の存在を知った時期のタイミング、というのが偶然にしては上出来であった。何故ならその頃の私は、或る事をきっかけに身近な人達の書き記した文学作品に対して、気持ちを込めた感想文を書いたりする事を始めていたからである。著者の方に感想というかたちで言葉を贈ることの愉しさややりがい、といったものに目覚めつつあったのだ。また、書評めいた感想文を書きすすめる過程において新たな表現-言葉を見出し、文章に書くことによって自らの文体として表現することができる。そうして出来上がった「おくりもの」を受け取って(読んで)下さる方に、人としての書き手自身が視(み)える、想いが伝えることが出来るなら、この上なく幸せである。

-本の束の間は、付箋でいっぱいに-

本書は、国内外の文学作品をそれぞれにおいて一字一句を大切に読み込んだ素地にあっての感想が織り成されている。文体の特徴やその魅力、そして作品の背景にある歴史や社会環境、文学史の流れにおける精神世界としての思想のありようを(著者自身の生きた姿と重ねながら)踏まえた上で評じている。あたかも、粒ぞろいの短編集を読んでいるがごとく、的確で簡潔な文章に著されている。著者は文中において「個々の作家について(評論を)書くのではなく五十人、百人のいろんな文学者たちの存在をまずは知らせるというのが批評家の基本の仕事であると思う。」と述べているが、まったくその通りの本である。本書を読みながら、これはと思う文学作品が紹介されている頁に付箋を貼っていくと、果たして読み終えた時には本の束の間の部分が“付箋の冊ビラ”のようになってしまった。

-「用の美」の向こうにみえる「荒川洋治」の姿-  

無駄を排した「用の美」ともいえる言葉の流れの向こうに、著者の選んだ作品に寄せるあたたかな眼差しが見えてくる。それは、温度というものをもった質量としての深みであり、荒川洋治という人間そのものが(名前さえも取り払って)映っているからではないのか。人の書いた物を読むのもまた「人」であり、「本」という媒体を通して対峙する人間同士の精神的交流である。そこにあるのは、流れゆく言葉のみ。名前など要らないのだ。

-「霧中の読書」のなかから-『星への旅』へ-

 数多くの文学作品を紹介した本書の中で筆者が最も心を惹かれたのが、吉村昭の初期の代表作を評した「『星への旅』へ」の章である。

~吉村昭の初期作品は、ぼくが、読書の世界を知らないときに書かれており、自分の知らない時期に、実は日本の現代文学は転換期を迎えていたことになる。 知らない時代に、とてもいいもの、魅力的なものがあった。手にとどかないところに変化があり、動きがあった。新旧の地層も見えていた。それを知ることは自分がどこにいたのかを知ることにもつながるのだ。吉村昭の作品を読むことで、いくつもの大切なものが明らかになる。~(『霧中の読書』2章138頁より抜粋)

「霧中の読書」は筆者にとって、「書く」という行為の後押しをしてくれる大切な本となった。これからも、時を重ねながら、感想もまた視点を変えて「 積み重ねて」いきたい。

 「霧中の読書」 荒川洋治 著(みすず書房)

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