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富岡のコスモス       さやのもゆ

八月の終わり。
初秋に咲かせるコスモスの、種まきが始まる頃だ。
私の記憶のなかで、すぐに取り出せる引き出しには、常に一枚の写真がしまってある。

―山の端に近い西日が斜めに差し込んでおり、赤土の地面に三脚を立て、カメラを構える父を照らしている。帽子の影に表情が隠れてはいるものの、眩しそうに空を仰ぐ横顔は陰影深くーいつもの父が、そこにいた。

しかし、写真を撮った母は、こう言った。
「お父さんは、この時にはもう、痩せていたんだね。お母さん、ちっとも気づかなかった。」 
父は、2014年の10月初旬に持病の定期健診を受けたところ、別の病に罹っていることが発覚したのである。精密検査の結果、病状はすでに進行しており、手術はできないと診断された。
病院には母も付き添っていたが、父はひとりで診察室に入り、医師の診断を受けたという。
「家内がそんな話を聞いたら、ひっくり返っちまうから俺ひとりで聞く」。後に母から聞いた話である。
病院から帰宅後、父は母に「新城(愛知県新城市)にコスモスの写真を撮りに行こう」と言い、ふたりでエブリイに乗って出かけた。
父は、写真を撮るのが好きだった。生まれ育った奥浜名湖周辺はもとより、休日になると車をとばして県ざかいを越え、奥三河の山あいや南信州の伊那谷まで足を伸ばしては、山里の風景を撮影していた。 もちろん母も一緒で、やはりカメラを持参していたが、母のそれには自然の風物だけでなく、被写体を前に三脚を立ててカメラを覗いている父の、後ろ姿も収められていた。 
くだんの写真は、母が父と出かけた時に、いつもの習慣としてとらえた父の姿である。静岡県境の山々―雨生山・金山の北麓に位置しており、緩やかな丘陵地帯に広がる田畑の美しい地―富岡で。
ここでは毎年、休耕田にコスモスのお花畑がつくられていた。父は三ケ日回りの広い国道ではなく、わざわざ引佐の奥から山越えの狭い県道を通るという道順を楽しみながら、出かけて行ったようだ。 
そして、この時の撮影ドライブを最後に、父がカメラを積んで大好きな場所―三遠南信の県ざかいをめぐる山々―に出かけることは二度と無かった。

数日後に父は、そばにいた母に言うともなく、つぶやいた。 
―あの時、コスモスを撮りに行っといてよかったなーと。

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