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立ち食い蕎麦屋のバイトから始まってその後インドネシアに住み昨年帰国したサラリーマンの話 その20

長生きのクーポン

「無念」の思いを払拭出来ぬまま、2021年11月13日(土)夜、Soekarno Hatta空港出発、翌14日(日)早朝、成田空港到着。常夏の南半球から帰国した日本は、沈んだ気持ちと相まってか、とても寒く感じた。いつもなら開いている免税店も閉まったまま、閑散とした空港。
当時は到着時のPCR検査が義務付けられていたため、空港で検査を受け陰性を確認。公共交通機関は使えないため、会社が手配してくれたハイヤーで自宅へ向かう。このハイヤーが来るまでの間、まだインドネシアでたまに吸っていたアイコスを吸おうと喫煙所に向かうが、帰国を機に完全禁煙しようと思いとどまる。

自宅に到着しアイコスを全て廃棄した。

自主待機期間を終えて出社。体調の悪いワタシは役職を与えられず降格となった。肩書のない名刺を渡されなんとも虚しい。「無理して体を壊しても会社は何も助けてくれない」よく聞く言葉であったが、会社とは非情なものだとしみじみ実感。役職者定年までの年数はあとわずか1年だけ。巻き返しは不可能、不完全燃焼、無念の思いでサラリーマン人生を終える事が確定した。これが自分の人生、運命と受け容れるしかない。まずは健康診断を受けよう。

約二週間後、健康診断の結果と「心臓血管外科への紹介状」が自宅に届いた。心臓血管外科への紹介状を受けるのは2度目であった。1度目はまだインドネシアに駐在していた時。日本で精密検査を受けたいと上司に申し入れしたが、メニエールの時と同様に、パワハラ上司に却下されていた。

心臓血管外科を探す。幸運にも自宅から2駅のところに、心臓血管外科の手術例が千葉県で最多という有名な病院があった。医療ドラマのロケや、元プロ野球選手が薬物治療で入院した地元では有名な病院だった。紹介状を持って精密検査を受ける。検査終了後「明日から入院して下さい」と言われ驚きと動揺を隠せなかった。

・心疾患(心臓の血管が一部詰まっている可能性がある。)
・腹部大動脈瘤(破裂すると大量に腹腔内や後腹膜腔に出血し、非常に死亡率が高い病気)

上記2つの異常が見つかり、深刻度の高い心疾患のカテーテル手術を先に行う事になった。インドネシアでのコロナ感染や、医療ミスによる血栓とその手術との関連性は不明。

精密検査を行った翌日に入院し更にその翌日に手術の予定となった。心疾患の手術という事で、また全身麻酔かと思っていたが、カテーテルを挿入する手首だけの局所麻酔であった。インドネシアでは右手首の血栓除去手術で全身麻酔だったのに、日本では心疾患の手術で手首だけの局所麻酔、これが医療レベルの違いなのだろう。

検査翌日、午後2時に入院。その日はPCR検査を受けるのみ。陰性を確認しその翌日に手術となった。病院の1階にタリーズがあって珈琲が飲みたいと言ったところ、入院患者は退院まで1階への出入りは禁止。何か欲しいものがあれば看護師が後で買って来てくれるという。ホットコーヒー、サンドイッチ、耳栓とメモに書いて渡す。手元に渡されたのは耳栓だけであった。(当たり前か・・・)

病室は大部屋で6人。話が筒抜け状態で、正直聞きたくない生々しい話も耳に入ってくる。家族に連絡したが誰も来ない、退院したら住む家がない、入院費用が払えない、等々。また夜中でも看護師が処置をする音、独り言を呟く患者、痛い~を繰り返す患者、大鼾をかく患者。入院時に耳栓は絶大な効果を発揮してくれる事を実感した。

手術当日、朝食は普通に摂った気がする。手術室に入り、局部麻酔を受け、手首からカテーテルを挿入。局部麻酔なので勿論意識ははっきりしており、手首以外の感触もしっかりある。挿入されたカテーテルは腕を通り胸の中に到達、感触がはっきりわかり気持ち悪い。10分ほどカテーテルを動かしていた医師「血管に詰まりはないのでこれで終了します。」医師の説明では、ワタシの血管は他の人と比較してとても「細い」そうで、そのためねじれが多く、詰まっているように見えたとの事。結局手術ではなく精密検査で終了となった。

続けて腹部大動脈瘤の再検査を行った。こちらはすぐに手術をする大きさではなく、三ヶ月毎に定期的に検診を行い、手術が必要な大きさになった場合は手術しましょう、という事になった。結果的にわずか3日間の入院で退院。

その後腹部大動脈瘤の定期検診を2回受けたが、悪化しておらず未だ手術に至っていない。医師より「禁煙で高血圧が大きく改善され、瘤が大きくなっていないと思われる、適度な運動を継続して検診を続けましょう」と言われた。

次は右手のリハビリ。「手外科」で診察を受けた。根気よくマッサージを続け、右手の可動範囲を広げていくしかないという。それであればわざわざ通院するほどの事は無い。インドネシアでやっていたスポンジを使った握力の回復、自己マッサージ、字を書くトレーニングを続け、現在は日常生活や仕事に支障がないレベルまで回復したが、今でも可動範囲が狭い、たまに痛みがある、等の後遺症が残ったままである。独自のリハビリではこれ以上の改善はないと思われるため、「名医」と言われる医師のいる「手外科」を探しているところであるが、正直なところ、もはやこれ以上改善はしないだろうな、という諦めもある。

「もしも」

コロナ感染せず、血栓の手術をせず、何事もなくそのままインドネシアで生活していたら、間違いなく禁煙はしなかったであろう。高血圧を薬でごまかしたまま、心疾患が悪化する可能性や、腹部大動脈瘤に気付かないまま生活していたに違いない。腹部大動脈瘤は、破裂すると大量に腹腔内や後腹膜腔に出血し、非常に死亡率が高い病気。煙草を吸い続け、高血圧が改善されないままの状況で、ある日突然大量出血という状況になっていた可能性は否めない。

インドネシアで身心共に色々と辛い思いをし、命を諦めた夜もあり、今でも右手には後遺症が残り、帰任後の待遇に対する忸怩たる思いは今でも払拭出来ずにいるが、日本に帰国したからこそ、「長生きのクーポンをゲット出来たのだ」「自分はなんとラッキーな男なのだ」と思い込む事で、整理のつかない気持ちをごまかしている。