12:34

「12:34」

ふと時間が目に止まった。

隣では次男がようやく寝息を立て始めた。
全身の筋肉をこわばらせながら起き上がる。


最近ゾロ目や連続の数字を目にすることが多い。
見ると幸運が訪れるなんていう話もあるが
結局は気分次第だと思っている。

そんなことを考えながら
実家へ行く荷造りを始めた。

急に大叔父が亡くなったというのだ。
明日の通夜だけ参加することになり、今夜出発する。

大叔父はとてもユニークな人だった。

若い頃の武勇伝は数知れず、
周りの人が叔父の話をするときは
決まってみんな笑顔だった。

最後に会ったのはもう半年以上前か、
1年になるか。

すっかり痩せて、家で療養中と聞いていた。

その間大叔母が看病していた。

口には出さないけれど
なかなかな骨の折れる毎日だったことが
以前会った時の様子から伺えた。


大叔母としてはどんな気持ちなんだろうか。

ほっとしているのか、悲しみに暮れているのか。

きっとどちらも少しはあるだろうが、
今は手続きに追われそれどころではないかもしれない。

最愛の人が亡くなったとき、
一番思いを寄せたい人が事務手続きに追われるとは

とも思うが、それはそれで気が紛れて
いい仕組みなのかもしれない。

時間の積み重ねは
時に愛おしく、時に苦しくなる。

今この瞬間が愛おしければ愛おしいほど
進むのが怖くなる。

今が苦しくてどうしようもなくても
時間は勝手に進んでいく。

何があっても進む。もう戻ってはこない。

今隣で寝ている我が子も
いずれは大きくなるし、反抗もするだろう。

でもそれ以上の温かいものが待っていることもまた事実。

クローゼットの中の、少し小さくなった服が
彼らが小さかった頃の思い出を蘇らせる。

過去は過ぎ去るだけで、なくなるわけではない。

この体がある限り、日常はやってくるし
淡々と時間は過ぎていく。

その時間の流れにすっと乗ることが
今を大切にする有効な手段なのかもしれない。

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