見出し画像

説明が多い映画やドラマの内容を理解できない

 観ても観ても意味が理解できない物語があった。その理由は台詞に専門用語が多いからだと思っていた。

 だがほかの方から言わせると、わたしの理解できなかった物語は、本当に細かく説明をしてくれる、誰も置いていかない作品だという。

 うわーまじか。わたしって理解能力のないアホなのかな? 一応10代は結構それなりにお勉強頑張ってきてたタイプなんだけどな……? もう脳が衰えてるのかな…… と絶望していたら、ふとひとつの仮説に辿り着いた。

 たぶんわたしは、台詞で状況説明がなされたり、登場人物の心の声がつねに聞こえる作品の内容を、うまくキャッチできない。

 台詞が多いとその台詞の意味を追うことになり、自分なりに物語を噛み砕く隙を与えてもらえなくなる。それがとても窮屈なのだと思う。無意識ではあったが、これまでも「これってどういうことだろう?」と自分なりに考えを巡らせていきながらその世界に入っていくことを愉しんでいたのだろう。考える隙が与えられないと、全然のめりこめない。つまり理解ができない。

 あと「映像」という五感で最も情報量の多い、視覚をフル刺激する表現があるのだから、それがあればいいじゃないかという気持ちもある。たとえば『SLAM DUNK』で桜木花道がダンクを決めたシーンがあるとして、登場人物の驚きと喜びの表情と、「ナイッシュー!」「いいぞ!」「よっしゃ!」みたいな一言だけでいいと思う。わざわざ「桜木がダンクを決めたぞ~!!」「まだバスケを始めたばかりのドシロウトの桜木が!?」と言葉にされると、わたしの場合は少し疲れてしまう。

 この話を母にしたら「あなたは人の話を聞くのが苦手なのよ」と笑われた。ええ? 仕事でインタビューをしているのに? と愕然としていたら、「一方的に話を聞いているのが退屈なんじゃないの」とのことだった。

 「インタビューはコミュニケーションで成り立つものだし、あなたの言葉や態度のさじ加減で、相手から出てくる言葉が変わるからできるんじゃない?」「自分から物語を掴みにいこうとしていたら、画面の中の人物がしっかり説明してくれるから拒絶されるように感じるのかもね」と言われ腑に落ちた。「まあ自分勝手なんだろうね」という捨て台詞は、聞こえなかったことにしておく。

 わかりやすくするための配慮が、人によってわかりにくいと感じることは多いのだろうなと思う。日本製の家電の説明書は文章ばかりだけど、海外製のイヤホンやスピーカーの説明書には絵と記号しか書いていない。状況説明の台詞や、登場人物の心の声が聞こえ続ける作品を観ることは、わたしにとって信号や交通標識が全部文字表示になるのと同じくらいの負荷がかかることだ。

 そんな自分の心境を事細かに文章/言葉にしているんだから、ほんと人ってのは矛盾してるよね~と思うのでした。

最後までお読みいただきありがとうございます。