「ラストマイル」おかわり(映画鑑賞備忘録)
冷静にストーリーを楽しもうとおかわり。
平日の日中にもかかわらず、都内映画館の座席は3分の2ほど埋まっていた。まだまだ熱は冷めていない(うれしい)。
前回は、ちょっといけ好かない主人公エレナの登場に「この人、怪しい…」とずっと疑惑の目で見つつ、舞台が変わると現れる懐かしい面々に「ミコトだ!」「東海林も中堂さんもあいかわらずだなぁ」「伊吹!!」と情緒を翻弄されてあっという間に終わってしまった。
今回はじっくり「ラストマイル」ストーリーに集中すべく挑んだ。
前回よりも冷静に隅々まで見ようと、目を皿のようにしていたけれど、エレナがタクシーで職場に乗り付ける場面からもう鳥の目になったように感じるカメラワークに感動。
小さなカットを積み重ねて説明的に見せるのではなく、名前も明かされない労働者の集団の様子を見せて主人公に一気に近づく感じが、今回のストーリーでキーワードになっている(と思う)「誰もがみんなベルトコンベアの上に載っている」存在であることを思わせる。
職務を全うしようとする人が誰からも大切にされていない現実、「責任感」や「矜持」と言う言葉で奪われ続ける人々。
奪われ、損なわれていることを気づきながらもベルトコンベアから降りられない人々。
システムを止めるには、システムにNOを突きつけるにはどうしたらいいんだろう。
よく、「置かれたところで咲きなさい」と言うけれど、そうは言っても地獄で咲く必要はなかろうよ。
商品に爆弾を仕込まれたというストーリー。
先日、「ヒズボラが戦闘員に配布していた通信機器が一斉に爆発した」という事件が起きた。
詳細はまだわからないけれど、「そういうこと」ができるのかと言う驚きと、悪意を持った人がいればそれはどこでも起こりうることだという恐怖でいっぱいになった。
ヒズボラの件で言うと、どういう形で通信機器が戦闘員に配布されたかはわからない。その通信機器もどの時点で爆発する仕掛けのものとすり替えられたのか(または、付け足されたのか)も今のところわからない。
映画と結びつけるものではないかもしれない。
ただ、ベルトコンベア式に流れ、多くの人を介することで(エレナ式に言うと)「桃太郎と思っていたものがいつの間にか金太郎になっている」、「海苔弁当が知らないうちに唐揚げ弁当になっている」ことは起こりうるんだと衝撃を受けた。
過去、炭そ菌が入った郵便物が送られたとか、有名人に剃刀入りの封筒が届けられたとか、そういう事件はたくさんあった。
でも、それは送付者の悪意(犯罪)として認識していた。
送付者から受取人にわたる途中で「悪意を持って似たような別のもの」になる可能性なんて頭の中からすっぽり抜けていた。
少し考えれば十分あり得るのに気づいていないことが恐ろしい。
私たちが生きるベルトコンベア式の日常に起こりうる事件、フィクションだけどフィクションと言い切れない世界を見た。
もう1回…見に行くかも。
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