(劇評)新世界にて願う

ヨーロッパ企画『来てけつかるべき新世界』の劇評です。
2016年9月18日(日)13:00 本多劇場

各地にて上演中です。ネタバレはしていないと思いますが、情報を入れたくない方は閲覧をお控えください。


 舞台上には、寂れた下町の商店街が表現されている。ヨーロッパ企画の舞台装置は、いつもよく作りこまれていて、開演前からその物語の雰囲気に誘ってくれる。それだけではなく、舞台にある物が、話の進行上重要な役割を果たすことがある。

 舞台下手に串カツ屋、美容院。上手にはコインランドリーともう一件。串カツ屋とコインランドリーには二階の部屋がある。美容院は、一階の上が屋上になっており、タオルが干してある。
 そこは、大阪の新世界。遠くに通天閣が見える、昔ながらの街。うだつのあがらなさそうなおっさん達が日がな串カツ屋に集って、ビール瓶のケースを椅子に、将棋を指している。 そんなノスタルジックな街にも、IT化の波が押し寄せてきていた。
  宅配ドローンが空を飛び、おっさんにぶちあたる。ドローンを使って遠方から串カツを求めてくるITマニアがいる。串カツ屋の親父は二階に引きこもっているため、娘が取り仕切る店の前で、美容院、コインランドリー、近くのラーメン屋のおっさん、何をしているのかわからないおっさん、地道に営業をしているらしい演歌歌手の女性達が、ITの襲来へ不器用にかつ正面から対峙していく。

 ヨーロッパ企画の持ち味である軽妙な会話と、長い劇団ならではの団結力。そこに、大阪弁という武器が加わって、会話の攻撃力が増していた。大阪弁だから起こる笑いというものを、うまく取り入れていたように思う。

 この物語の根底には、機械と人間の境界がどこにあるのか、といった、現代ならではの問題も潜んではいる。また、誰も悪くはないどころか、善意ですらあるのに起きてしまうトラブルを、見事に書き出してもいる。この二点には、もっと深く踏み込むこともできたはずだ。だがヨーロッパ企画はそれをしなかった。素直な笑いを観客が望んでいたからかもしれないが、それだけではないだろう。機械と人間、これから先どうなるかわからないけれど、できれば共存共栄していきたいという願い。それがどこか温かい交流の形となって、なによりも希望されていたのではないだろうか。

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