(劇評)『劇処』終わりが来ても日常が続くなら

この文章は、2016年11月26日(土)19:00開演のcoffeeジョキャニーニャ『キラキラモノトーンタイムマシンラプソディ』についての劇評です。

 「あなたのお父さんが旅に出ると、第三次世界大戦が起こる」。まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」の誇大版みたいな話だ。しかし、些細な行動が、巡り巡って思いもよらない大きな結果となってしまうことは、実際にもあるだろう。

 coffeeジョキャニーニャ(以下、ジョキャニーニャと略)の、第あの紙ヒコーキくもり空わって回(原文ママ)公演『キラキラモノトーンタイムマシンラプソディ』(作・新津考太、演出・GSI(戯曲製作委員会))は、第三次世界大戦を起こさないために、父の旅立ちを止めようとする息子の悪戦苦闘の物語である。

 葛巻こうじ(寺本深之祐)は家族の脛をかじって無職生活を送っていた。だが、姉のさくら(内多優)は結婚するというし、父・もりお(佐々木具視)は旅に出るという。一人になってはニートはできない。困るこうじの前に、未来から来たと言う謎の女・滝沢アリス(島上かんな)が現れる。彼女は、第三次世界大戦を起こさないために、タイムマシンを使って歴史を変えようとしている。歴史を変えるために父を止める、その鍵はこうじにあるらしいのだが。

 タイムトラベルを行うと、自分が過去の自分に出会ってしまうことになる。映像ならば、同じ空間に同じ人物を二人登場させることは技術的に可能だが、舞台上では実現が難しい。ジョキャニーニャはこの現象を、“タイムトラベル先の、近くで寝ている人の体に、精神だけ乗り移る”という説明により、別の役者が演じることで表現した。タイムトラベルを繰り返すことで、違う役者の演じるこうじが増えていく現象が、この芝居を主導する力となっていた。

 結果として、未来は変わる。だが予想もつかなかった方向に変わる。こんな未来では困ると、何度やり直しても、結局、望む通りの結果にはならなかった。何が起きるかわからない現実と、起こってしまった現実への逆らえなさを、この劇は暗に語っていたように思う。

 劇中には第三次世界大戦という語を始め、核の海、原発でのテロなど、危うい単語が出てくるのだが、それらは劇中では特別問題視されることはなく、するりと流されてしまう。それは軽さにも似ているが、客観視なのではないか。何が起こるかはわからないけれど、何が起きてもそれは主観と切り離して、冷静に見つめることができる。出来事を俯瞰しているかのような視点が、そこにあるように思えた。もし何か重大な出来事がジョキャニーニャ近辺に降りかかっても、その俯瞰の構えで、ひょうひょうと乗り越えてしまいそうな気さえする。

 これから何がどうなってどんなことが起こるのか、誰にもわからないし、逆らう術はない。何かが起きた後も、生きていく限り、いつしか日常が訪れる。日常が続くなら、楽しい方がいい。そんな風にジョキャニーニャは捉えているのではないか。どんな状態が想定される時代でも、楽しみを忘れない心持ちは大切だ。

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