(劇評)『劇処』忘れても、きっと、返ってくる

この文章は、2016年10月1日(土)19:00開演のキッズ☆クルー&人形劇団なみ『雪わたり』についての劇評です。

 キッズ☆クルーと人形劇団なみによる、なによりまずは、キッズ☆クルーが演劇で何かを見つけるための芝居。それが、キッズ☆クルーと同じ子ども達と、かつて子どもだったことを忘れている大人達のための芝居にできあがった。

 キッズ☆クルー&人形劇団なみの上演した『雪わたり』は、宮沢賢治の童話を元にした作品である。舞台は、通常の演劇公演ならば客席が設置される後方、その右隅から、三角形に作られていた。壁には白い布、二階や、二階へ登る階段からも白い布が下がっていて、それは落ちそうな雪や氷柱のようだ。白く覆われた床の上には、円筒形の椅子のようなものがいくつか見られる。

 雪を踏みしめて歩く子ども達は、人形使いが操るところの小さなキツネに出会う……と思いきやそれは、本当に人形使いのおじさんと人形のキツネだった。たくさんの子ども達に、飴を配るおじさん。そして、黄色と水色の猫を両手に、笛を口に、言葉の無い人形劇が始まる。笑いながら見ている子ども達。劇が終わるといつのまにか、おじさんは消えていた。キツネに騙されたのではないか。子ども達は不安になる。
 おじさんが行くと言っていた森の向こう。そんな遠くに何があるのだろう。シロウとユキオは森へと進む。二人はキツネを呼ぶ歌を歌う。それに応じるように現れたキツネの子。キツネの子は、二人をキツネの学校祭に招待してくれる。人間は、キツネが人を騙すと思っているが、本当のところはどうなのだろうか。少年達とキツネ達との不思議な交流が繰り広げられる。

 宮沢賢治の話には、彼の思想が色濃く表れている。キツネの学校で語られる話には、素粒子、生と死、絶望など、子どもには難しいのではないかと思える言葉が登場する。それでもキッズ☆クルーの子ども達は、構えすぎることなく、終始自然に演じていたように思う。心配せずとも、子どもには子どもの理解の仕方があるのだろう。

 演劇は、子どもに対して何ができるのか。観て楽しい、演じて楽しいの他には、通常の生活範囲では出会えない人達との、出会いの楽しさがあるのではないだろうか。そして、出会った人達と、同じ一つの物を作り上げていく体験の楽しさ。演劇は形としては残らない。演じるその瞬間にだけきらめいて消えていく。
 子ども達が、演劇を通して見つけられる物を、キッズ☆クルーの子どもも大人も全員で探した結果、そこに生まれていたのが、今日の『雪わたり』なのだ。

 大人になると忘れてしまう、と、劇中でキツネの先生は言った。確かにそうだろう。キッズ☆クルーの子ども達も、成長する過程で、今日のきらめきを忘れてしまう。でも、確かにこの日に光った瞬間はあったのだ。それを、たくさんの人達と共有したのだ。子ども達が、いつか何かのきっかけで、ふいに今日の芝居を思い出した時、それは、大切な物として、心に返ってくることだろう。

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