(劇評)ネットの向こうの誰かを

劇団ドリームチョップ『令和3年、『テレホーダイ』の夜に』の劇評です。
2021年9月19日(日)15:00 金沢市民芸術村 PIT2 ドラマ工房

 「テレホーダイを知っている人?」との前説での問いに手を挙げたのは、私も含めて3人だった。劇団ドリームチョップ『令和3年、『テレホーダイ』の夜に』は、知る人も少なくなってしまったサービス「テレホーダイ」を巡る、黎明期のインターネット利用者達の悲喜交々を描いた、4つの短編がゆるやかにつながっている連作だった。

 今や光回線で常時接続が当たり前のインターネットだが、その初期は、電話回線を使ってその都度接続する形式だった。電話をするのと同じように通話料金がかかるため、ネット利用者は高額の請求に慄いた。そこで重宝されていたのが「テレホーダイ」である。このサービスに登録すると、夜11時から翌朝8時までの間、定額料金で指定の2電話番号にかけ放題になるのだ。

 舞台は黒く、段差が付けられていて、4段目の広くスペースが取られた段の真ん中に、大きなブラウン管モニターが置かれている。そこにパソコンや、ネット接続をするためのモデムがあるようだ。パソコンの背後にはさらに高くなった段が左右にあり、その中央は人が通れるように開けられている。小さな階段が作られており、上手側の一番高い段まで登れるようになっている。背面にはスクリーンが降りていて、『令和3年、『テレホーダイ』の夜に』の文字とともに、レトロな雰囲気のCGで描かれた夜景が映し出されている。

 スクリーンには1996年(平成8年)の文字、そして『10時50分、キスしにきてよ。』と表示される。パソコンに向かう男性、サナ(井口時次郎)は、ナナ(声:宮崎裕香)とメッセージのやりとりを始めて数ヶ月になる。知人以上の親しみをナナに感じながらも、踏み込むことで今の関係が壊れてしまうことが怖い。そんな中、ナナが会おうと言い出したのだ。喜び勇むサナ。テレホタイムだけながら親密なやりとりを続けてきた二人は、実際に出会ったとしてもうまくいくのだろうか。
 続いては『四人の容疑者』。祖母(山本久美子)にパソコンPC98を買ってもらった、かおる(高田滉己)。フロッグマンという名前でネットに熱中する彼は、不登校であった。母(宮崎裕香)には電話代のことで文句を言われながらも、悩みを聞いてくれる、愚者の楽園(声:井口時次郎)と名乗る知人もできた。彼からメモリの増設も、テレホーダイも教えてもらった。だが、なぜか彼が、話していない自分の情報を知っているのだ。かおるは担任教師と同級生3人のうち誰かが、愚者の楽園なのではないかと疑う。
 3話目は『テレホみたいな恋をした』。マサト(宮下将稔)はネット上での恋人であり、遠距離に住むナギサ(兼近理子)と、初めて対面した。二人でドライブして、綺麗な夜景を見下ろしながら、マサトは改めてナギサに告白する。しかしその後、彼女とはネット上ですれ違うようになってしまう。常時接続にすれば、いつでも連絡できる。マサトはADSLを導入して、テレホーダイを止める。
 最後は令和3年が舞台となる『囚われの令和テレホーダイ』。河合(ののじろうー)から従業員への連絡が深夜であったことを、上司である真田(井口時次郎)が注意する。話を聞くうちに、河合は妙なことを言い出す。自分はテレホーダイに囚われていると。その背後には、彼がかつてネット上で惹かれた、アゲインズ(宮崎裕香)への思いがあった。

 制約があるからこそのめり込む、ということがある。時間が限られているからこそ、集中して楽しめることがある。9時間のテレホタイムは、制限でありながら彼らを熱中させる仕組みであった。いつでもできる、よりも、今しかできない、のほうが貴重なような気がする。
 しかしどれだけ熱中しても、ネットに自分の全てを曝け出すのは怖い。ネットの向こう側の人物もきっとそうだろう。だから相手がどんな人物か、はっきり明かされることはない。なのになぜか、自分に近いような気がする。緩やかな仲間意識がそこには形成されていた。そんな同類がいて、何が起こるか、何に出会えるか見当がつかない未知数のネット世界に、居場所を見つけた者も多かった。と、自分の経験も思い出しながら、テレホタイムに翻弄される彼らを観ていた。あの頃の、面白かったテキストサイトに、雑多な掲示板やチャット。そこで出会った人達はどこへ行ってしまったのだろう。

 河合を叱り終えた真田は、友人に電話する。相手の男性はナナこと七尾(長山裕紀)。期待していた展開とはちょっと違っていたけれど、サナとナナは友人となり、その関係を令和になった今も続けていたのだ。テレホタイムの魔法がかかっていても、どんな人だかよくわからなくても、例え自分を偽っていても。ネットの向こうにいるのは自分と同じように、迷い、戸惑い、悩む一人の人間だ。魔法がなくなっても、その誰かを思った気持ちは、残り続ける。
 私には残念ながら、ナナのように今でもつながっている古いネット友達はいない。だが、ネットで出会った人々は、今もどこかでネットを覗いているだろう。あの頃を懐かしく思い出すことがあるのではないだろうか。現実よりちょっと取り繕った自分と、仲間達のことを。

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