(劇評)変わらないものは、変えられないものは

MONO『ハテノウタ』の劇評です。
2017年3月25日(土)19:00 東京芸術劇場 シアターウエスト

 気が付いた時には、後戻りのできない所まで来てしまっていて。ただ、あの時ああすればよかったのにと、悔やむしかない。

 MONOの『ハテノウタ』は、たどり着いてしまったディストピアを生きざるをえない人々の哀愁漂う言動を、思わずの笑いを誘う会話で描く。また、タイトル中にもあるように、歌が劇中で頻繁に歌われる。
 この世界では、外見を若いまま保つ長生きの薬をほとんどの人が服用している。外見の老け具合は体質や服用の頻度により違うため、同い年でも、学生に見える人もいれば、老齢に見える人もいる。外見は若くとも、身体には老いによる不具合を抱える人もいる。
 人類の総長寿化が、人口の飽和を生むことは想像に難くない。人々は、99歳から100歳の誕生日までの間に、施設に出向き安楽死をしなければならないと定められている。不自然に生を延長した人々は、自然な死を選ぶことができなくなった。

 安楽死の前に、ひと時青春の思い出を分かち合おうと、高校時代に吹奏楽部だった者達が集まる。場所はカラオケルーム。ご丁寧に、学校の教室を模した部屋であり、黒板や教壇があり、長い机にカラフルな椅子がいくつかおかれている。カラオケルームなので天井にはミラーボールが下がっている。
 歌いたい曲の名前が出てこない、高校時代の出来事が思い出せないなどの、老人あるあるが笑いを生む。同じ部活で同じ高校生活を送ったはずの面々なのに、それぞれの持っている思い出は少しづつ違っている。
 それは単に、老化による記憶の不安定さでもあろう。しかし、彼らが高校時代に体験した出来事は、それぞれ違っているのだ。見る方向が違い、受け取り方が違っていた。
 彼らは皆で、ある時は一対一で、高校時代を語りあう。それぞれのもつ過去をすり合わせることはできる。だが、過去に起きた出来事は、絶対に変わらない。変えようとした者はあったかもしれない、だけど、その他大勢が変えないことを選んだのだ。

 いろんなことは忘れても、昔歌った歌は意外と覚えている。サビだけかもしれないけれど。みんなで一緒に歌えるのは、みんなが覚えているサビだけかもしれないけれど。みんな一緒のわずかな部分に安心を得なくては、やっていけない世界もある。だけどいつまでもみんな一緒に、ずっと楽しく歌って過ごしていくことはできない。その場の空気を乱すことになっても、誰かがみんなと違うことを、言わなければいけないのかもしれない。変えよう、と。

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