(劇評)母の叫びに共鳴を

劇団aji『MATKA』の劇評です。
2016年10月30日(日)14:00 金沢21世紀美術館シアター21

 カレル・チャペック原作の『母』(田才益生訳)を、劇団ajiが『MATKA』と題して上演した。 『母』が書かれたのは1938年、ナチス・ドイツの独裁政治が、チャペックの居たチェコスロバキアにも強く影響を及ぼしていた時代である。開演前に、主宰の島貴之が、チャペックのエッセイを朗読した。死の直前に書かれたというその文章は、時代を憂えながらも、読者に希望を忘れないように呼びかけるものであった。

 英雄と呼ばれた男との間に、五人の息子をもうけた母。母は夫の、そして息子達の幽霊を見る。長男は医者として研究に身をささげた。次男は飛行機で高く飛んだ。三男と四男は、市民革命で敵味方に分かれて争った。残った五男までもが、戦場へ行くと言う。夫の名前はリヒャルトという。だが子どもの名前はイチロウ、ジロウ……である。ここで繰り広げられる物語が、どこの国の話なのかわからない。どこでもない国か、どこかでもある国なのか。

 舞台は、端から端まで敷かれた長いマットがあるだけで、装置や物は何もない。そこに、上手より人物がじっくりと時間をかけて、すり足で登場する。彼女は白い道着に黒い袴を穿いて、ボールを持っている。彼女の始めた一人語りが、やがて、亡き夫との会話であることが判る。
 いつしか、他の演者によって、椅子が運ばれてくる。ひとつずつゆっくりと置かれていくのだが、気がつくと左向きに、3列が6つ、18台も並べられている。椅子に座った者が語る。俳優は全員女性だが、演じられるのは息子のようだ。俳優達の語りの間にも椅子は動かされて、全てが右向きに変えられていく。そして、またひとつずつ片付けられていく。

 夫も、息子達も、それぞれの信念の元に死んだ。そのことを後悔してはいないどころか、誇りに思っている。だが母にはそのような信念は、一番に大事なことではないのだ。重要なのは、夫や息子がなぜ、自分から奪われねばならなかったのか。そしてなぜ、最後の息子まで奪われようとしているのか。誰にもそんな権利はないと母は主張する。
 母に理屈は通じない。どれだけ論理的に語ろうとも、母という感情の塊を動かすことは難しい。理知的で冷静で正確な息子の言い分も、母の前では正解にならない。貴方は私から生まれてきたのでしょう? この母から生まれないことには、貴方はそんな言葉も発せられなかった、と言わんばかりに。

 持ち込まれたラジオが、沈みゆく船から発せられた最後の言葉を伝えた。その言葉を伝える人物もまた、息子を失った母だった。そしてラジオは、子ども達が爆撃されたと伝える。母は夫の残した銃を、五男に手渡す。息子を失いたくはない。けれども、多くの子どもを失うことも避けたい。母はそう思ったのではないか。たくさんの母達の苦しみが聞こえたのだ、きっと、同じ母だから。
 今も、巨大な悲しみがどこかの母を襲っている。思うだけで何ができるわけではないけれど、ただ願おう。一人でも多くの母が、叫ばないで済むように。それが、舞台から強烈に、かつ丁重に発せられ続けた、叫びへの返答になる。

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