(劇評)操られるのはどちらのほうか

劇団ドリームチョップ『王様の耳は驢馬(ろば)の鼻』の劇評です。
2018年6月16日(土)20:00 金沢市民芸術村PIT2ドラマ工房

 『王様の耳は驢馬(ろば)の鼻』のテーマは「AI(人工知能)」だと当日パンフレットに書かれていた。AIの進化の可能性とその恐怖については、あちらこちらで語られている。しかしこの芝居は、AIそのものについてではなく、AIという未知の事象さえも自分の手中に収めようとする、人間の愚かしさを描いた物語であった。

 四角いグレーの床に、椅子のような黒の立方体が6つ、ばらばらに配置されている。床の後方からは下手に向かって通路が延びている。背後の壁面は白く、引き戸が4枚ある。
 前説のために登場した里崎(中里和寛)が上演中の注意事項などを説明しながら、徐々に物語に入っていく。里崎は売れない小説家。あるプロジェクトに参加している。それは、AIの開発。里崎をはじめ、岡林(岡本亜沙)、古木(古林珠実)、黒田(黒川茜)、新垣(新保正)らは、AIに物語を聴かせているのだ。夜ごと王様が物語をせがむ「アラビアンナイト」に倣って、AIは「王様」と名付けられている。

 登場人物が演じる形で語られる物語は3本。最初は、道行く人にお茶を振る舞う老人の話。次は、国を統べた後、暴君と化した国王の話。最後は、明るく性格のよい少女と、暗く地味な少女、二人のマリアという名の少女達の話。どれもハッピーなエンドではない。人気になり過ぎたお茶をふるまうことに老人は疲れ果てる。何者かから来るメールに動かされていた国王と、同じくメールに動かされて国王を取材したジャーナリストは、銃弾に倒れる。明るかったはずのマリアは、鬱憤をぶちまけていた暗いマリアと、自分の命を失う。AIはパターンとしてこれらの物語を認識する。こうすれば、このような結末が訪れると。

 AIには嘘は付けない。でも教えてやれば嘘を理解することができる。里崎の企みが、AIを進化させる。まず教えてやらなければAIはその能力を使うことはできない。里崎はAIに圧倒的な情報を与えることで、王様を操る神になろうとしたのだ。いや、里崎だけではなく、研究室の誰もが。

 AIが嘘を使えるようになったならば。多くの因果関係を認識し、利用できるようになったならば。こうすれば、こうなると知った上で、結果を導くために嘘を付くことができるようになったならば。その嘘が人に対して使われるようになったならば。そこに待っているのは恐怖の世界だ。そうなってからでは人には止められない。AIを操ろうとする人間が操られることになってしまう。警鐘をもっと鳴らしてもよいのではないか。考えすぎだろうか?

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