(劇評)正論では語れないこと

劇団べれゑ『青に溶ける、ひかり』の劇評です。
2018年2月24日(土)19:00 金沢市民芸術村 PIT2ドラマ工房

 いつまでもこの毎日は続くように思えてしまう。この毎日は変わらないように思えてしまう。
 しかし止まらない時間はない。終わりという変化が来るその時まで。

 海以外何もない場所に住み、高校に通う、あや、さとこ、さやか、みーちゃんの4人。彼女たちは、仲良し、なのだろうが、親友、というほどではなさそうだ。変わらない日々に、それぞれが何かを思いながら、繰り返す毎日をやり過ごしている。
 あやとさとこの間には、秘めた思いがあったようだ。だがそれは、あやの一方的な言葉により終わりを迎える。そして二人の間で事件が起こり、さとこは死を選ぶ。みーちゃんはさとこの死を見てしまう。

 当日パンフレットには、演出の知名采音により、同じ地元で自殺した中学生によせる思いが書かれている。「自ら命を絶った中学生を、肯定するために」とある。

 さとこは自分の時間を自分で止めた。さとこ以外の時間は流れていく。卒業。就職。時間が過ぎていく。さとこは高校生のまま、皆の記憶に残っている。
 残された3人と教師は、誰もさとこを責めない。自殺は悪いことだ、なんて正論はここにはない。正論では語れないことを、正論が塗りつぶしてしまう小さなつぶやきを、この物語は描こうとしている。

 彼女たちは悲しみで取り乱したりもしない。それでもその心の中に住み着いている存在に、時折戻ってくる記憶に、気持ちは揺り動かされている。それは悪いことでも、良いことでもない。ただ、それに囚われ過ぎてはいけない。彼女たちにはそんな思いがあるように思えた。そのものがなんであっても否定はしない。否定を抱えたまま生きていくのは、きっとつらいことだと、彼女たちは気付いている。さとこの記憶をそっと海に浸して、青に溶かしていく。ずっと変わらずにそこにある海に。それが彼女達の「肯定」なのだ。

 シーンを別アングルから繰り返す手法は、繰り返しの毎日を表現しているのだろう。これは、東京の他劇団の影響かとも感じた。そうでないのならば、オリジナルでその表現にたどり着いた発想力がこの劇団にはある。そうであっても、金沢ではない、東京の劇団の流れを汲んでいることは、この地方都市においては良いことだと思う。今後も、金沢の演劇界にはない表現を貪欲に取り入れていってほしい。

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