(劇評)『劇処』演劇の力を使うならば

この文章は、2016年11月12日(土)18:00開演の劇団週末クラブ『祭りよ、今宵だけは哀しげに』についての劇評です。

 劇の始まり、暗転した場内に、ごうごうと音が流れた。まさか、これは津波の音ではないのか? 不安な気持ちが募る。
 明かりが点いた舞台には、黒い箱がベンチのように長く並べられている。その隅っこ、上手側に少年が座っている。下手側の舞台前方にも少年がいて、彼は天に向けて望遠鏡を覗いている。

 『祭りよ、今宵だけは哀しげに』(作:加藤純・清水洋史)は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を原典として、25年ほど前に愛知県の高校生によって書かれた戯曲である。今回上演した『劇団週末クラブ』は、石川県内の高校演劇部有志が、学校の枠を越えて共同制作する劇団だ。平成3年に『週末くらぶ』として誕生し、『週末倶楽部』への名称変更を経て、『週末クラブ』として平成26年に最終公演を行っていたが、今回は、金沢市民芸術村の20周年を記念しての特別な復活となった。これまでの『劇団週末クラブ』でも22本の演出指導を行ってきた、北市邦男が演出を手掛ける。

 星祭りの夜、いつの間にか乗り合わせた銀河鉄道でジョバンニ(金津翔太)とカンパネルラ(堺玲音)は、車掌(長千史)、占い師の老婆(岩本桃歌)、虫捕りの小林教授(藤井莉緒)と水野助手(大田翼)に出会う。そしてジョバンニは飛行機乗りだったゾンビ(秋本優聖)とも遭遇する。列車は終点に近づき、二人がここに来た理由が明らかになってゆく。

 原作脚本及び、宮沢賢治の原典では、川で起きた事故が二人を銀河鉄道に誘う理由となっていた。しかし、この劇ではその原因に改変があった。津波である。再びごうごうと音がする。冒頭から感じていた不安が強まる。大きな津波が起きた東日本大震災を思い起こしてしまう。
 この劇は、喪失体験からの立ち直りを描いている。そこに、現実に起きた出来事を想起させる設定を加えることには、慎重にならねばならないだろう。あんなに大きな津波だったのだから……と、現実の出来事を連想してしまうことで私たちは、純粋な劇世界には浸っていられなくなる。
 東日本大震災から、5年が過ぎた。私は被災したわけではない。未だ復興は途中である、と被災地を訪れた者から聞く程度だが、震災という出来事は現在進行形だと感じる。もちろん、被災の記録を何らかの形で残すことは大切である。だがその前に、多くの人々が今も傷ついているという現状を重視すべきではないか。劇中でジョバンニは、自分にとっての「いちばんのさいわい」を見つけることができた。しかしその、一瞬の閃きにも似た気づきを、誰もがすぐに行えるわけではない。

 震災の記憶を追うことは、感受性の強い若い役者には辛い体験でもあっただろう。しかし、大切な命を失うというテーマを与えられた役者たちは、一人一人それぞれに、その苦しみや悲しみを考え、生まれた感情を素直に表していると感じた。
 演劇は、人の心を動かす大きな力を秘めている。だからこそ、力の使い方には細心の注意を払わなければならない。『週末クラブ』に参加した演者たちには、自分が持っている力を信じて、大事に表現を続けてほしい。

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