(掌編)未知との遭遇

2022年5月21日、ドリサカ研究所 あっぷる主催の「かきくらべ ライブ版11」という朗読イベントに寄稿した掌編小説です。テーマは「そびれる」でした。

宮本ゴーゴンさんによって、4編の小説が朗読されました。
朗読動画はこちらです。
https://youtu.be/VrN8nSZK9Gg

 あれ、鍵かけたっけ。
 部屋を出るところを思い出す。玄関から出て、扉を閉じて、鍵を鞄から出そうとして、スマホを出した。今日の天気が気になって。雨の予報なら傘を持っていこうと思って。でも予報は「くもり」だったので、傘は持たないことにした。そして私はスマホを鞄にしまい、歩き出した。
 ああ、歩き出しちゃってるわ。鍵出してないから閉めてもないわ。やらかした。どうしよう。しかし、仕事が終わるまで部屋に帰ることはできない。空き巣に入られたりとか。別に高価な物は置いてはないけれど。いやでも、買ったばかりの掃除機は持っていかないでほしい。困る。だが今の私にはどうすることもできない。気になって仕事に集中できないのもよくない。このことは少し忘れよう。粛々と仕事をして時間が過ぎるのを待つのみだ。

 仕事を終えるいなや、急いで職場を飛び出した。エレベーターの到着を待つのももどかしければ、早足で辿り着いた駅では電車にわずかの差で去られてしまったのも悔しい。何も起きていませんように。電車に揺られながら願った。最寄り駅からは、途中で買い物もしないで部屋へと駆けた。住居がアパートのしかも一階であることを、こんなに悔いたことはない。オートロックのマンションとは言わないまでも、せめて二階以上を選んでおくんだった。家賃が三千円高いくらい、安心代として出すべきだった。たどり着いた自室の扉に手をかける。扉はすっと開いた。やっぱりそうだ、鍵をちゃんとかけたということを忘れていた、なんてことにはなってなかった。おそるおそる扉の隙間から中を覗く。電気は点いていない。ということは誰も中には入っていない、ということでよろしいか。玄関に入り、靴を脱ぎつつ、照明を点けた。一瞬で明るくなった部屋の中心に、何かがいた。人だ。うずくまっていたそれが立ち上がった。背が高い。男か? 叫ぶべきか? いや相手を刺激してはいけないのか? 目があった。その目は、どこか、ぼんやりとしており?
「何か……食べる物ないですか……」
 そう小さな声で言うと、またうずくまった。

 冷凍してあったご飯を電子レンジで温め、インスタントの味噌汁をお湯で溶いて、ちゃぶ台に出す。
「目玉焼きでよければ焼くけど……」
 卵くらいしか冷蔵庫には入ってなかった。彼を見ると、もうご飯と味噌汁を食べ始めていた。よっぽどお腹が空いていたのであろう。まあ作るかとフライパンに卵を割り入れ、水を差し、蓋をする。
「ごちそうさまです」
「待ってまだ目玉焼きできてない」
「あ、そんな物まで作ってくれてるんですか……」
 すまなそうに彼は頭を下げた。
「まさか開いてると思わなくて、つい」
「ああ、閉め忘れた私が悪いから」
 目玉焼きを皿に移し、彼の前に置く。
「いただきます」
 年は若そうだ。まだ学生なんじゃないだろうか。着ているパーカーはそれほど汚れておらず、長く街をさまよっていたとか、そういうわけでもなさそうに思える。
「でもなんで行き倒れてたの」
「それは」
 目玉焼きの黄身を摘んでいた箸を置いて、彼が私を見た。途端、彼は床に両手をつき、私に向かって深く頭を下げる。
「家出してきました! もうお金ないんです! しばらく置いてください!」
「え」
「お姉さんいい人そうだから! お願いします!」
 いやなんかそれ無理。ていうか、引き受けたらまずいことになるんじゃないか? 彼が顔をあげて私をじっと見つめてくる。なんだその、小動物のようなつぶらな瞳は反則じゃないか……。

「なんてな」
 たどり着いた自室の扉に手をかける。扉はすっと開いた。しかし私のくだらない妄想のようなことにはなっていないだろう。扉の隙間から中を覗く。電気は点いていない。ということは誰も中には入っていない、ということでよろしいか。玄関に入り、靴を脱ぎつつ、照明を点けた。一瞬で明るくなった部屋の中心に、何かがいた。

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