(劇評)『劇処』爽快な時間を

この文章は、2016年12月3日(土)20:00開演の劇団羅針盤『西遊記~最果ての勇敢なる帰結を語る~』についての劇評です。

 胸のすくような感覚が、欲しくなる時もある。仕事で失敗したとか、誰かと喧嘩したとか、思っていた結果が出なかったとか。うまくいかなくて不快な感情を持て余し、他者に助けを求めたくなることもある。その逃避先の一つが、物語である。物語の中にいる強い主人公の活躍に、心を動かすのだ。強敵を打ち倒し、痛快な活劇を繰り広げるヒーローを楽しむなら、小説や漫画、テレビや映画でももちろんいい。では演劇はどうだろう。生身の人間が、目の前で躍動する。汗を飛ばし息を吐きながら派手に立ち回る役者達に、自分の思いを乗せることができたなら、どれだけ心をすっきりさせられるだろう。

 劇団羅針盤の『西遊記~最果ての勇敢なる帰結を語る~』は、タイトルにあるように、中国の伝奇小説『西遊記』を脚色した芝居である。脚本・演出は平田知大が担当している。ありがたい経典を手に入れるために、天竺へと旅立った三蔵法師(矢澤あずな)。彼は道中で猿の孫悟空(平田知大)、豚の猪八戒(和田和真)、河童の沙悟浄(川端大晴)らを弟子にする。この劇での孫悟空は、三蔵法師の到着を、石になって500年も待っていた。その間に、力は衰え、金斗雲を呼ぶこともできなくなっている。猪八戒や沙悟浄も体力を落としている。弱体化した彼らは時折現れる観世音菩薩(竹内風香)に助けられながら、三蔵法師を守り、旅を続けていく。

 中央に黒い大きな正方形のステージがある。その周りを、中央の物より二回りほど小さな赤い正方形が六つ、取り囲んでいる。中央より高い場所に一つ、中央下に一つ、左右に階段状に二つずつ。黒と赤、合わせて七つの見せ場が設けられている。背後には布が六列垂らされており、それがスクリーンの役割を果たす。七つの見せ場を役者達は跳び回り、長い棒を振り回す。矢継ぎ早に繰り出される台詞に、大きく鳴る音楽。激しく点滅する照明、多量に使われる映像効果。息をつく暇がない、高速の、過多な情報を圧縮した芝居が展開される。

 情報量の多さで観客を圧倒しようという意図は伝わる。しかし、そのための勢いが重視された結果、物語の流れがわかりづらくなっていた。音量が下がらないまま発せられる台詞、激しく動きながらの発声は、しかも早口であり、聞き取りが難しい。多くの人があらすじを知っている『西遊記』であるとはいえ、劇団羅針盤ならではのアレンジになっているはずだ。それが伝わりにくい形になっているのはもったいない。言葉を観客へと、的確に届けるための発声方法を検討してほしい。
 八人の役者は一人何役も担っている。ある役から違う役へと変わる瞬間は、照明効果で理解できるものの、演技上の明らかな差が見えず、誰が登場しているのかわからない場合もあった。全体的に動の瞬間の足し算でできている芝居だが、冷静な視点を加えて、静の時間もうまく使ってほしい。

 アクションを大きく取り入れた芝居を作っている劇団は、金沢にはあまり見られない。貴重な存在である劇団羅針盤には、今後も熱気のある芝居を精力的に作っていってほしい。やりきれないことばかりの社会の中で、胸のすくような体験を、求めている人はいるのだから。

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