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(劇評)顔の奥の本当の顔の

iaku『仮面夫婦の鏡』の劇評です。
2019年8月2日(金)19:00 金沢能楽美術館(金沢ナイトミュージアム関連イベント)

 簡素な能舞台のようだった。普段は何も置かれていない、板張りの床の上。舞台となる四角形の四隅に、1メートルくらいの木の柱が立てられている。下手には橋がかりのように通路が作られている。背景には松の屏風が広げられており、さらに上手奥には竹の屏風が立てられている。上手前隅には黒く丸いゴミ箱。下手前隅には丸い椅子に、電話、カレンダー、ペン立てが置いてある。舞台中央、四角い机の上にはスマートフォンらしき物が載っている。机の側には背もたれのある椅子が2脚。

 橋がかりを通って登場した男と女。二人は頭に紙袋を被っている。紙袋には人の顔。しばらく正面を向いていた二人は、紙袋を取る。その下には、紙袋に付いていた顔とは違う顔があった。
 二人は言い争いを始める。聞いているうちに、二人が夫婦であること、そして二人は顔を整形したことが明らかになってくる。先に整形したのは妻の方だ。夫はそれに対抗する形で整形したようだ。妻はそれが気に入らない。夫はそもそも、自分に無断で妻が整形したことが気に入らない。それぞれが主張する思いは平行線を辿るばかりで、交わりはしない。
 一体どういうことになればこの喧嘩は終わるのだろうと思っていると、妻の妊娠の発覚と、夫の父親の病状が悪化したとの電話連絡により、二人の諍いはうやむやになる形になり、舞台は暗転する。

 明転した舞台では、妻は妊娠8カ月目を迎え、大きなお腹を抱えている。部屋に帰ってきた夫はスーツ姿だ。どうやら就職活動中らしい。厳しい家計の為に、妻は絵画モデルをしているようだ。そのことが、新たな火種となって、二人を再び諍いに駆り立てる。
 妻と夫、どちらの意見にも素直に頷くことができかねる。ああ言えばこう言う、こう言えばまた違う方向から言葉が飛んでくる。夫などは妻が好きだから言っているのだと素直に告げるのだが、それは自分を独占して縛るものだと、妻は一蹴する。好きなんだからまあいいか、とならないところに、妻のひねくれ具合が見て取れる。しかし、ひねくれ具合では夫も妻に負けじと劣らない。勝手に整形されたことを不服として、自分の顔まで変えてしまうのだから。

 最初に被っていた紙袋が能面だとするならば。能面を外した顔が、本当の自分の顔ということになる。しかし、今の二人が持っているのは、整形した顔であり、本来の顔ではない。
 妻は、自分の顔に不満を持ち続けて生きてきた。希望通りの顔を手に入れて、やっとスタートラインに立てたと言う。この顔に見合う自分になっていくという。
 さて夫はどうか。夫は序盤で言った。顔の奥の本当の顔を見ろと。夫にとって自分の顔とは、見た目通りのものではなく、心のあり様が映し出されるものなのではないか。つまり顔よりも心の方が、夫にとっては先だ。違う地点から出発した二人の心は、真ん中で激しくぶつかり合う。

 心が通い合っている同士ならば、この夫婦のように派手な喧嘩をぶち上げることもないのだろう。しかし、この世の中に存在するのは、スムーズに意思疎通のできる夫婦ばかりだろうか。人知れず、居宅の一室で火花を散らす。そのような夫婦の時間も山のようにあるのではないか。そしてその行為が愛じゃないわけではない。歪んでいるのかもしれないが、愛じゃないわけではない。

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