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リベラルの物語は傷つき古びている

近代の思想をさかのぼると大概19世紀後半にたどり着いてしまう。産業革命で大きく変わった世界、工業化の力で中世的な世界から脱出し、一気にトップを目指そうとする当時の新興国。政治的な枠組みがきしむなか、より良いものを目指そうと数々の理想が生まれたが、結局20世紀前半の50年で壮大な社会実験が行われ、二つの戦争を経て冷戦になり、それも21世紀になる前に崩れた。今も人々を引き付けるわかりやすい理想は現実的に使い物にならないしろものだったのだ。20世紀はそれを証明するための惨めで辛い100年間だったと言える。

それなのに、古びた理想の物語はわかりやすさと未熟さの持つ純粋さの輝きのおかげで人々を魅了し続けている。1回目の大戦のあとには中断されたから今度こそ反省を踏まえて続けようとアピールし、2回目の大戦の後には、包装を一新して全くの新商品のように装うというウルトラCまでやってのけた。

しかしもういくら何でも無理なところにきている。リベラルを自称する人たちが信じ続けてきた物語はすっかり古くなっているし、失敗の歴史を引きずっている。成功した部分は理想ではなく現実になっていて現実ゆえの問題や弱点を晒して傷だらけだ。これでは人々にアピールすることはできない。

ここで、石戸氏が見ている現象、それから

ここで倉橋氏が分析している現象と同じ出来事についての私見になるのだが、今でも引き続き歴史的な認識は保守論壇の方が正しいと考える若者が多く、それが魅力的なのは、ここで新しい物語が提示されているからだろう。

複雑で偶然に支配され、公正ではない現実の出来事を何とか理解して何とか生き延びるために有効な判断を下すためには、人はわかりやすい枠組みを必要とする。使える形態の枠組みが物語だ。

新しい教科書を作る会は初期に「物語としての歴史」を打ち出していた。これは当時の流行で、ナラティブに注目が集まる走りだったのだが、結果的にリベラルの使い古された物語より新鮮で魅力的な物語を生み出すことになったと考えている。

物語で最も重要なのはわかりやすさで、正確さではない。わかりにくさにつながる過去とのつながりを切り捨て、現代の不可解な状態について納得させることに注力した物語は、使いやすいツールとなる。その魅力は強烈で、中核的な精神の古さというか陳腐さもカバーしてしまっている。

リベラルが復権するためには、手あかがついていない新しい物語を打ち出す必要がある。馴染みのある理想の失敗を認めて捨てるのは難しいだろうが、そもそもリベラルとは過去のしがらみから自由で改革を求める精神であるはずだ。新しい技術が生み出す問題と対峙するために、技術を理解し、その影響を考慮していくのは生易しいことではない。過去のリベラルたちはそこで問題を生み出しているのは技術と技術の使い手が無頓着に変容させた社会だとして、科学技術の否定に走るという安易な道を選んで失敗した。この轍を踏んではならない。

おりしもコロナ後の世界が論じられ始めているが、大規模な感染症による被害は予想されていたもので、世界を変容させるものではない。世界はすでに変容していて、その結果感染症に非常に脆弱になっている。それが露わになっただけだ。

ここからはじめてどんな世界像を描くのか。ここでこそインテリたちの能力を発揮してほしい。





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