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わが友アル、HPVの話

アメリカのワクチン支持の親たちのサイト、Voices for Vaccines http://www.voicesforvaccines.org/ に掲載された公衆衛生学修士の女性による記事。 Voices for Vaccines (VFV) から許可をいただいて、翻訳しています。

元記事へのリンク

https://www.voicesforvaccines.org/friend-al-hpv-story/

(この記事にいただいたご支援は金額の半分をVFVへ支援のための寄付として送ります。)

60歳になった時、私の友人のアルは年に一度の健康診断に行き、担当の医師に首の横に小さなしこりがあると話しました。医師は心配していない様子でした。けれども3か月後、しこりは大きくなっていました。生検してみるとHPV陽性の咽頭がんでした。
私はずっとワクチン支持者で、娘たちにもHPVワクチンを打つように勧めていたほどです。1977年に異形成が見つかりましたが、幸運にも、自然治癒するタイプでした。娘の一人は、 子宮頚部検診で前がん状態の細胞がみつかりました。二人とも子供を持ちたがっているのを知っていたので、頸がんの治療が妊娠に影響するのを心配して、ワクチンを打つように勧めたのです。もしもアルもワクチンを打っていたなら、咽頭がんになることはなかったでしょう。この出来事のせいで、そしてアルの診断も理由となって、人々のワクチンに対する姿勢を論文のテーマにすることにしました。(アルが診断を受けたときには公衆衛生で修士号を取ろうとしていたのでした。)研究を続ける間にもアルの病状は悪化していきました。
すぐにバージニア州でも最高レベルの病院に行ったのですが、声帯を切除する他の治療法はないと告げられました。アルは声が商売道具の医療言語聴覚士だったので、他の治療法を望んでいました。間もなくメリーランド州の大きな病院でHPV咽頭がんの患者に対する治験があると聞きつけました。アルの治験参加はすぐに承認されました。アルにとっては地獄のような体験でした。苦痛に満ちた6週間を過ごしたあと、感謝祭には退院して自宅に戻ることができました。
それがアルの最後の感謝祭のお祝いのディナーになりました。次のスキャンではガンがさらに成長して広がっていたのです。ひどい痛みにも苦しむようになっていました。声帯を切除して、その上、抗がん剤治療と放射線治療を受けなくてはならないのは明らかでした。
6か月後、みんなで声を失ったアルの61歳の誕生日を祝いました。
けれども、私たちのお祝い気分はすぐに大きな失望に変わりました。治療はうまくいかなかったのです。その次の1年は、手術に次ぐ手術に耐えるアルをみんなで支えることになりました。どんどん大きくなるがんを切除しなければなりませんでした。アルの病は、私の夫にとってひどく堪えたようです。二人は親友でした。アルは夫に向かって耐えなくてはならないと感じていると言い続けました。そして、本当によく耐えました。頑丈だった身体が45キロ以下にまで衰えてしまいました。そしてだれでも手を貸してくれる人には助けてもらわなくてはならなくなりました。治療に行くのに車で送ってもらわなくてはならなくなり、入浴も手伝ってもらわなくてはなならなくなりました。以前は自立したひとりの成人だった身には、誇りを傷つけられる、恐ろしい体験だったでしょう。
最初の診断を受けてから2年後、アルはHPV関連の咽頭がんで自宅に戻って死を迎えるように告知されました。かっての彼の影のようになってしまったアルは、恋人とと友人たちに見守られつつ死にました。

アルとはずっと良い友人でした。上機嫌で、お酒を何杯か飲んで、知り合いたちとおいしい料理を囲み、そして何よりも楽しいのは会話でした。いつも私を笑わせてくれました。おいしい料理もお酒も楽しい会話も戻ってきません。アルが死んだ次の日、家族の農場に彼を葬ってアルの追悼会をしました。けれども悲しみは深かったのです。
私がやり終えたHPVの調査を見返すと、HPVワクチンの必要性についての最も重要で効果的なメッセンジャーは親と医師です。アルの話を読んだ皆さんが子供にHPVワクチンを受けさせる決心をしてくださるように願っています。

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