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NiCE(26) 不公平だ

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お金に関するフィクション
『NiCE』の26回目です。
本文はそのまま読めます。第1回はこちら
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 その晩、ゆかりは布団の中で、子供の頃のことを思い出していた。 

 幼い頃、ゆかりの家は貧しかった。ゆかりは父のことはほとんど覚えていない。写真で見る父はにこやかな背の高い人だったが、記憶は影のようで、父だという実感がわかない。父は帰宅が遅かったし、休日出勤も多かったようだ。たぶん、会った回数自体が少ないのだろう。ゆかりの記憶の中の父は、人の噂と写真のイメージで構成されている。

 ずっと専業主婦だったゆかりの母が、共働きが「共稼ぎ」と言われた時代に、父亡き後35歳にして得られた仕事は、スーパーのパートと近所のクリーニング屋のパートだった。当時としては珍しい早朝深夜営業のスーパーは、クリーニング屋と掛け持ちするのによかったのだろう。時給もほかよりは、少々よかったのかもしれない。しかし、どちらも楽しい職場ではなかったに違いない。父が大きな負債を抱えた上で逃げるような感じで亡くなったことは、田舎の常として地域の誰もが知っているような状況だったから。

 ゆかりもずいぶんと、同じ市営団地の人や近所の人に話しかけられた。団地の一階の踊り場は、雨風をしのげる格好の井戸端会議の場となっていて、そこに集まった主婦から優しい顔で状況を聞き出された。我が家の状況は、きっと他人には蜜の味だったに違いない。子供心にも嫌な感じだったから、ゆかりはそこを通る時には、走り抜けることにしていた。

 そんな状況でも母は毎日働いていた。母は父の残した負債を完済することに決めたからだ。自分たちに負債の責任が回ってきたらたまらないと親族中から縁を切られた状態で、切り詰めて返済にあて、毎月相当額を返済していた。

 もちろん当時のゆかりにはそんなことはよくわかっていなかったけれど、家にお金がないことはわかった。給食費の支払いや突然の教材費の集金によって母がひどく困っていたし、小さくなった上履きや、必要になった学用品を持っていけないこともたびたびあって、クラスの男子からからかわれたからだ。必要なものを準備できず、忘れていないのに「忘れ物」をしなければいけない日は、学校に行くのが嫌だった。

 学校では給食があったし、食が細いやせっぽっちの子供だったから、あまり意識してはいなかったけれど、朝か夜の食事がないことも、ゆかりの家では多かった。「三食きちんと食べること」は努力目標のようなものなのだと、長らくゆかりは思っていた。それが、実は違うらしいと気づいたのは、6年生の家庭科の授業で一週間の食生活を記載する宿題が出た時だった。心底驚いた。ゆかりは友達らしい友達を作らなかったので、自分の家の食生活が普通ではないとは知らなかった。

 ゆかりが友達を作らなかったのは、特に不自由を感じなかったからだ。母も人付き合いが得意なたちではなかった。ゆかりは話さなくてはならない時には周りの人と話していたし、学校でも本さえ読めれば、楽しく過ごしていられた。学校の図書館もあったし、幸い地域の図書館も家から近かったから、読む本がないということにはならなかった。

 しかし教師によってはそれが気になる人もいたようだ。「友達ができないのは、星野さん、あなたの問題よ」とゆかりの人間性を問題視し、ゆかりの母を呼び出す教師もいた。彼女の仕事は不規則だったし、とにかくお金が必要だったから、ゆかりの母は呼び出されるたびに困っていた。ゆかりだって嫌だった。呼び出しで母が仕事を休む日は、たいてい晩御飯がなかったからだ。母はスーパーから廃棄処分になる食べ物を持ち帰っていたのかもしれなかった。

 ゆかりの母は、夕飯時に仕事で帰ってこられないときには、なんらかの食べ物を置いていった。バナナやおむすび、菓子パン。家の電気がとめられてしまっているときに一人で食べるご飯は、暗くて怖くてつまらなかったから、食べ物を持って出かけることにしていた。

 といっても、子どもが一人で行けるところも限られている。出かけるのはだいたい、自転車で行ける地域の公民館だった。田舎で管理も甘かったから、そっと公民館の玄関を通り抜け、最上階の三階まで行って、誰もいないが電気は付いている喫煙コーナーや廊下でご飯を食べた。公民館の会議室ではだいたいいつも誰かが何らかの集会をやっていて、会場から漏れてくる声を聞きながら食べた。話しかけられるのは嫌いだったけれど、誰かが何かを話す声を聞くのは好きだった。

 母が学校に呼び出しをされたときだけでなくとも、「今日は我慢ね」と晩御飯がないときもあった。夕方から夜中までノンストップのトランプ大会や、急な夜の散歩を提案してきたことなどは、母なりの空腹を紛らわす作戦だったのだろう。

 だから、ギフトキッチンの存在は、衝撃的だった。「幼い頃、私たちも『ギフトキッチン』みたいな場所でご飯が食べられたらよかった。」という風に、思えたなら楽だっただろう。しかし、ゆかりにはそうは思えなかった。なぜ、私たちはああいう場所で飯を食べられなかったのだろう。母も私も何か悪いことをしたわけではないのに。あのときの母と私は、今の私よりもはるかに無垢で、お金もなかったのに。不公平だ。理不尽だ。考えても仕方がないことなのに、そういう気持ちばかりがゆかりの頭に浮かんできて、腹立たしく、ゆかりはなかなか寝付けなかった。

(27) に続く

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