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NiCE(1) そよかぜの森・浅間リゾート

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お金に関するフィクション
『NiCE』の1回目です。
投げ銭方式です。しばらく続きます。
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 がたり、というバスの揺れで目を覚ますと、汚れた窓から見える景色は軽井沢の街中のものではなく、山の中のものに変わっていた。5月中旬だが、ときどき針葉樹の中に八重桜らしき花が見える。窓は閉まっているが、車内の空気に木々の香りが混ざっている気がする。

 座席に座ったままゆかりは腰を左右によじった。11時半。朝6時半にバスタ新宿でバスに乗り込み、軽井沢駅で一度乗り換えた時に少し動いたものの、5時間は座っている。右のお尻のほっぺと右の脇腹がうっすら麻痺している。まずい兆候だ。パソコンに向かってばかりのWEBライターになってから腰痛持ちになってしまった。

 あと15分で目的のバス停に着く。車内を見渡すと、乗客はあと一人しかいなかった。大学生くらいの男の子だ。平日のこんな時間にこんな場所で降りるなんて、どこに行くんだろうか。自分のことを棚に上げてそう思う。

 バス停を降りると、空気がきりりと尖っていた。バス停のある交差点には、人気のない別荘管理事務所の大きなログハウスが見えるだけで、そのほかは何の建物も見えない。少し肌寒い。深呼吸をすると、大ぶりのボストンバッグを地面に置いて乱雑に詰めた荷物をごそごそとかき回し、カーディガンを取り出して着た。バッグを閉め、持ち手に無理やり腕を入れて、肩にかける。

 後からバスを降りた男性は、もう歩き始めてバス停のあった交差点を渡り終え、その先の道へと進んでいた。同じ方向に行くようだ。ゆかりも交差点を渡る。

 とりあえずの目的地として登録したGoogleマップ上の地点は、この道の途中にある。電波が少し弱いが、オフラインでも間違えることはなさそうだ。スマホでGoogleマップを見ながら歩く。交差点から少し離れると、さらに木々が深くなった。20メートルくらい前をバスで見た男性が歩いている。

 しばらく歩く。涼しいが、荷物の重さと日頃の運動不足とで、すぐに息が上がってくる。あと少しでGoogleマップ上の目的地だと思ったら、その男性も目指す場所で立ち止まり、右に曲がった。ネットには、「管理会社が倒産し、荒廃した別荘地“Sリゾート”」と書いてあった。

 「そよかぜの森・浅間リゾート」とかろうじて読める木の看板が、入り口に立てかけられていた。門柱は倒れかけ、雑草が生え放題である。門から続く道も、アスファルトがひび割れ、そこから雑草が噴き出している。ここだ。まちがいない。別荘地に入る。あの男性も同じ場所に向かっているのかもしれない、と期待を込めて思う。この別荘地はかなり広いらしい。そのなかを地図なしで行かなくてはならない。

 入口からの道は大きくカーブしており、男性の姿はすぐに見えなくなった。少し歩みを早めながら、ネットに書いてあった通りに、2つめの丁字路で右に入る。と、少し先に先ほどの男性が見える。ずいぶん軽装だ。関係者かもしれない。少しでも間隔を詰めようと、さらに歩みを早める。

 周囲の「別荘」は、木造のテラスが崩れたり、屋根が落ちたり、窓が割れていたりしていて、使っている様子は見えない。利用者が減ると、別荘地というものは気味が悪いものだ。広葉樹は新緑が芽吹き始めたばかりで寒々しい木々も多い。こんなところに、本当に人が住んでいるのだろうか。急に不安になる。しかし、ここまで来て何も見ずに帰るわけにはいかない。これでは何の記事も書けない。次の丁字路を左だと思った途端、先を行く男性が左に曲がった。

「こんにちは。あの、もしかして『ナイス区』に行かれますか?」
三度同じ方向で曲がったのを見て、男性に走り寄り、声をかけた。進むほどに別荘地は荒れてきた。ほとんどの別荘が崩れかけて雑草が生え、木々が道に倒れかけたままになっている。不気味さに耐えられなかった。

「あ、やっぱり。あなたもですか?」
 振り向いた男性は、立ち止まってにっこり笑って言った。荒れ果てた風景に、清潔そうな白いポロシャツが浮いて見える。まつげが長く、声に楽しげな響きがあった。

「そうなんです。もしかして、ナイス区の住人ですか?」
「いえ、違います。僕も初めて行くんです」
 それにしてはバックパックが小さい。
「そうなんですね! でも軽装ですね。見学ですか?」
「まさか。そのまま引っ越すつもりです。ナイス区は貨幣経済を排除したオルタナティブ国家。住宅も衣服も食事も何でもみんながくれるから、何も持っていかなくて良いらしいですよ」

(2) に続く

==このノートは投げ銭方式です。==

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