イカ焼きのしまもよう

まともに健康診断を受けたのはいつが最後だろう。大学を卒業した次の年に一度受けたきりで二年ほどは健康診断らしいものは受けていないような気がする。母は私を生んでから一度も受けていないそうだから、二十数年は受けていないことになる。

そんな私は年に一度だけ血液検査をする。それだけが私の健康を知るためのたった一つの指標だ。

採血するから腕を出してね、なにも考えず差し出した左腕をさすりながらすっかり顔なじみになった看護師さんが不意に問いかける。

これ、いつの?

ふと目を落とすと腕に幾筋も走った白い線、なぞってみると薄らと隆起している。

「あー……中学生の時ですかね」

中学生の時、癖のように日に何度かカッターやら剃刀を腕に滑らせてはぷつぷつと滲み出た赤い玉のような血。その頃からの悪い癖。泣きわめいて、暴れて、物を壊せない代わりにぴっ、と手に力を込めて。

均等に並んだ腕のやわい皮膚を切り裂いた跡を「イカ焼き」と言って笑った同級生は元気だろうか。リストカットと同時に並んだオーソドックスな自傷、根性焼と一緒くたになって頭の中をぐるぐる回ってその時の私は馬鹿みたいに笑った。

普段はなりを潜めている衝動がたまに顔を出す。中三の冬に癖になったのをやめて、高校生の時に一度、大学生になった最初の夏に一度、社会人になってからはまた毎日。

それも最近はすっかり落ち着いて、白い跡になっていた。

この白い跡を見ると、高校生の生物の授業を思い出す。表皮の下にある真皮にまで傷が及ぶと肌が完全に再生しない。高校生の私は生物教師の説明を聞きながら、小学生の夏に派手に転んだ膝小僧の傷跡を思い出し、長袖Yシャツに包まれた左腕を小さく撫でた。

癇癪を起こせば母が「嫌だ嫌だそういうところ、お父さんそっくり」短気は損気、呪いのように祖母が繰り返す。ならば私はどうやって怒りを鎮めればよかったのだろう。どうやってこの何もかもを壊したい衝動と戦えばよかったのだろう。「怒り」を鎮める方法が見つからない私は私を傷つける以外に、それを鎮める方法を知らない。

数秒深呼吸してもダメ、ほかのことを考えてもダメ。私の怒りは、悲しみは持続し続ける。何年も、何十年も、受けた傷をふさぐ方法を知らないかのように鮮血のような感情が溢れ続ける。

何も辛くないふりだけがじょうずになっていく。自傷は未成熟の表れなのだそうだ。そもそも、大人になるとはどういうことなのだろう。

社会で接してきた年上の人たちは私にすぐ「あなたはまだ若いからわからないだろうけど…」と言う。しかしそういうのと同じ口で「あなたももう大人なんだから」とも言う。いったいどちらなのか。けれどそう言ってくる人たちの他人への接し方は私の目から見るとけっこう冷たい。

人の痛みに鈍感になってそんな悲しみや怒りは一過性のものだと諭すのが大人なら私は大人になんてならなくていいと思った。

ずっと左腕を擦りながら思っている。でこぼことした白い痕をなぞりながら思っている。

採血用の針が皮膚を破って血管に侵入してきた。シリンダーが引かれるのと同時になぜか背筋が伸びていく。

「きっとね、この傷を見ても他の人は案外覚えてないものよ。それでもやっぱり見せたくなかった?」

「うーん、学生の時は痕があると変に先生たちから干渉されるのが目に見えてたから。今は気にしてないです」

「もし昨日あなたがどんな服を着てたか訊かれても私きっと答えられないと思うなあ。人の印象ってそんなものだよ、きっと」

赤黒い血がシリンダーに溜まっていく。切った時の血はこれよりも赤かったような気がする。巷で話題の血液クレンジングとかいう胡乱な美容法がふと思い浮かんだ。

私が悲しみや怒りと戦った跡地、私だけが覚えている。誇るものでもないけれど、大事にしたいかもしれない。人にとっては取るに足りないようなものかもしれないけれど、文とは違う私の生きようともがいた戦歴を。






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