見出し画像

祖父は、作家でした、vol.1。

いつもたくさんの「スキ♡」をいただきまして、ありがとうございます。
スキ♡の通知音が鳴るたびに嬉しいです。

コロナのことでもあたたかいメッセージをありがとうございます。

副反応の熱も今は37℃前後、このまま後遺症といわれていた症状も消えていくようばかりの投稿が続きましたが、コロナとの3ヶ月間、生について、そして今は旅立っている伯父や祖父母のエピソードも自然と思い連ね書き連ねましたが、読んで下さりありがとうございました。

私の父方母方の両祖父母についてばかりでしたが、私の父方の祖父につきまして忘れているわけではなく、むしろ何と申せば、と戸惑う孫の私です。

父方の祖父に、あの世の彼の地から怒られそう、いやいや、苦笑いされそうか又は、全然わかりません。

祖父は「作家」でした。

しかし作家が主な生業ではなく、自営業を営みながらその自営業には余り関わらず、毎日毎晩…、

いや、もう、私の入力が止まり始めましたが、「作家」とはつまり「文学」の作家です。

しかし現在、ネット検索しても祖父の氏名は出てきません。

主に文筆業をしていた時代には私はまだ生まれておらず、私が小学生の頃に亡くなった祖父につきまして、聞いた限りでの祖父の作家としての主に世に出た作品は、当時の「新聞小説」の連載だったそうです。

それと並行し、祖父がつながりをいただいていた作家のかた、場所、があります。

そのかたは、文豪「武者小路実篤」、そして場所とは、「新しき村」でした。

無頼派に見えていた又は見られていた祖父が、白樺派の武者小路実篤さんと手書きの書簡(手紙)を頻繁に交わし、「新しき村」へ情熱を注いでいたとは、私は後に知りました。

私は少なからず、旧い(年数で比べましたら京の都の歴史などには比べられませんが)古い家に生まれましたが、幼い頃の私には、言い方は申し訳無いですが正直、不気味でしかありませんでした、私の生まれた"家"が。

表通りから裏通りへとつながる、うなぎの寝床のような長い長い土地。

自営業の商店、その奥へと入る、まず一歩目から怖かったです、私自身の実家ですのに。

商いの店構えの中を通り過ぎると、引戸があります。
その引戸を開けます。

そこから始まる土間のような通路の右側に小上がりの部屋、その小上がりの部屋から二階へ続く細く暗い階段。

その階段をのぼった記憶は、私の生まれた家ですのに私には数回しかありません。

なぜなら、その小上がりの部屋一階は「金庫部屋」と言えばよいのか、厚い鉄の両扉の大きな大きな金庫を横幅広く奥深くまで埋めたその壁というか金庫背景の前のスペースに、渋く燻し銀のうえに艷やかに使い込まれた木目色合いの「キセル台」(煙管台)がドーン!と置かれていました。

イメージとしては、映画『吉原炎上』、『必殺仕事人』『鬼平犯科帳』、映画『さくらん』、私は全部大好きな作品ばかりですが、幼い頃の私には、私の実家のあの金庫壁を背にキセル台の光景、まだまだ知らぬ何かを感じました。

壁一面の金庫と、床に据え置かれた大きなキセル台、そのキセル台を前に座り続ける祖父。

キセルそのものかタバコか記憶に無いのですが、金庫壁を背に煙をくゆらせ、小さなフレームの眼鏡を鼻筋にかけ、帳簿や書物や新聞など読みふけり、又は何かを書き、その小上がりの部屋の前の土間通路を歩く孫の私には一瞥もくれず、声もかけません。

和装も多かった祖父ですが、その様子や醸す何かはやはりどこか「文士」「作家」だったと、今なら気がつきます。

今なら、です。

近づきにくい祖父でした、幼い私には。

その金庫部屋&よくわからない二階のある建物の前の通路を通り過ぎるのが第一クリア達成です。

RPGな、実家でした。

第1エリア突破すると、左側に石造りの「池」があります。

金魚がめちゃめちゃたくさん泳いでます。
鯉はいません。

金魚の大きさや鱗色などは様々ですが、とにかくその金魚たちの単位がわかりませんが、匹数?魚数?は、数え切れません。

通路を挟み右側に、いわゆる母屋があります。

先ほどの「金庫部屋」とふすまを隔て、つながっています。
お台所、食卓、浴室など、いわゆる"お家"がありますが、トイレはありません。

ここから第2エリア突破最大難関は、外にトイレがある、というか、トイレの建物が外にあり、外といっても実家の縦長の土地内で、両隣は他のお宅(近隣すべからく自営業)ですから、外観からはもちろん見えません。

この、トイレの建物に夜、家の中の道(ややこしい…)を歩き、もちろん靴かサンダルみたいな履物に履き替えますが、めちゃめちゃ怖かったです。

日中でも怖かったです。

トイレ建物の前の道を挟んで、洗濯機(家の中の外置き(ややこしい…))と、そして第3超難関エリアです。

皆さま。

例えば、

「お蔵(おクラ)に一晩入れて外から鍵をかけてやる!おしおきだ!」

というセリフを、身内の方からでもどなたからでも、言われてしまったことは、ありますでしょうか。

私は、あります(泣)

何度も何度も、あります(泣)

怖かったですよー。

どっしりとした「お蔵」、何か思い出すだけで泣けてきます。

当時の私、子どもでしたが、いたいけなかわいいおさなご(←私…)に、よくもまぁ…。

何でそんなに厚いのかと問いたくなる壁、両門扉のギギギーっと鳴るような絶望感と、地獄の入口のような厚さの扉の上に絶対『ロダン』の『考える人』いたでしょうと思い、きっと感覚的にいましたね、今は静岡県立美術館におられますけどね。

お蔵、怖かったです。

色んな物や色んなにおいや空気、差す太陽光にホコリが光るだけで怖かったです。

瓦屋根、白壁、両門扉、底無しに感ずる暗黒、そこに閉じ込めるなどと言われて育った幼少期。

あれ?!
今なら、結構なドラマティックを感じます。

中々貴重なトラウマでし…いや、貴重な体験でした。

ドラマティックは最高ですが条件としては、生きていて思い出してこうして入力出来る今があるのならば、です。

だからこそ、私は本が好きになり…となるまでは、まだまだ時間と体験を要しましたが、お蔵に数分間でも閉じ込められ、暗闇以上の暗黒視界での幼き自分、それもまた現在の自分の一部です。

愛知県は岡崎、江戸時代、駿府城、享保の飢饉までも、この内容はさかのぼりながらも、現在へのわたくし的な映画『ゴッドファーザー』になりますが、またいつか後々に続き〜入力させて頂けたらと思います。

ありがとうございます。さやか

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?