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悲しい出来事

おはようございます。

書きたいことはいっぱいあるのですがその気持ちは生ものと一緒ですね。
すぐに書かないとだめになる(=書けなくなる)。

この2週間弱、色んなことを感じて考えているのですがそれはまたおいおい。
昨日おきた私の中ではとっても悲しかった出来事を記載してみます。

昨日は朝からよく動くことができたんです。
昨日の朝はこんな流れ。

朝活

ご飯炊く
炊きながら野菜蒸す、みそ汁作る

読書会

娘おこす
ご飯食べさせながら保育園準備

登園

出社

普段の私は朝ご飯をたく、まではできても副菜をつく余裕はあまりなく
卵かけごはんで済ませることが多いです。
でも、もうちょっと手間をかけよう、自分にも家族にも。
とおもって私としてはがんばっちゃったのです。
主人は基本在宅ですし、何かスーパーで買った総菜ではなく・・・と思ったのです。

そうしたら、です。
家に帰ってちょっとかなしくなりました。
なぜなら…炊いたご飯が一ミリも減っていなくてもはや腐っている。
うちは土鍋なので基本的にはコンロに放置なのです。
(本当に本当にお米さんには申し訳がなさすぎる)
そして作った蒸し野菜やみそ汁も1ミリも減っていない…
(まだ野菜とみそ汁は大丈夫でした)

がああああん

食べてないだけならまだしも
腐ってしまったことが本当に悲しく…申し訳なさでいっぱいで…
ちょっと頑張ってしまったがために…

主人にも食べないなら冷蔵庫にいれておいてくれ~!とイラっとも。
言わなかった私が悪いのですが。

私にも不備はあるし、理解できるところはあるのですが
私の心の感情としては
作ったご飯を放置されてしまったことも、
お米を腐らせてしまったことも悲しかったです。

この事象から何を受け取るのかなあと考えてみました。
・私は食べ物や物は大切にしたいという価値観が強いということ
(賞味期限が過ぎていても基本食べられそうなら食べるし腐らせてしまったときはかなり心が痛みます)
・私の勝手な思い込みで相手に良かれなことをしてしまったということ
(無理に頑張る必要はない)
=「相手のために頑張ってる私素敵!」
 ではなくあくまで私が心地いい環境を作ってご機嫌でいればいいということ
 何事もバランスが大事なのでだからと言って料理をしなくていい!という曲解ではない

自分の心地よさを無視して相手に良かれを勝手に判断して突っ走るところがあるので、ちょっと落ち着け、その頑張り方ではだめだよといわれた事象だったのかなあと思います。

母業、妻業、自分業、色んな役割がありますが、
どこかに偏るわけではなくバランスのいい形を日々模索中です。

やっぱり、今でも悲しい・・・かなしかったなあ。
ご飯さん、お米を作ってくださった農家の皆さん、本当にごめんなさい。

他愛のないプライベートなお話でした。

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