それは突然に12

自分の中では意識があるつもりだが客観的に自分をみていることから幽体離脱してたんだろうな、と感じることは何度もあった。母の声掛けに反応はなく救急車で運ばれる。そのうちに意識を取り戻す。その繰り返し。

次第に吐き気が襲いかかりさらに食事は困難に。
食べても吐く。うがいをしても吐く。薬も飲めない。
ただただ、もがき苦しむだけ。常に意識も朦朧としているのか無感情なのか…。
これが薬の重大副作用と判明し落ち着くまで2週間程だったが何ヶ月も苦しんだように、思えるほど長く辛い日々だった。
痙攣発作がいつおさまるのかも、わからない状態であったことから仕事は退職。治療に専念することにした。
薬をやめたことから痙攣は徐々に軽減。少しずつ食事も摂れるようになり短距離であれば杖歩行で歩くことも可能となった。このまま回復への道を歩む予定だった。

周りは痙攣が収まって動けるようになり、私の病気のことも良くなったと勘違いをはじめた。実際は痙攣止めしか飲んでいないのだから鬱症状が良くなってることもなく…。朝は調子が悪いし情緒不安定になることもあった。しかしそれを理解してもらえなかった。
それがわかった時、それでも頑張って元気なフリをしようと思ったが身体は正直なもので気づいたら初めの頃のように無表情になり、自然と涙がこぼれ落ちるような状態だった。理解してもらえない辛さがどれほどのものか…
薬を増やしてもらうも不眠が続き、夜中に自殺を考えてみたり食事は身体が受け付けなかった。手や腕を噛んだり引っ掻く行為もおさまることはなかった。
何も出来ずただ布団の中にいるだけ。そんな日々がさらに自分を追い詰め苦しめた。

救ってくれたのは推し(崇拝している漫画家様)の言葉だった。この人に会いたいから頑張る‼︎どうしても会いに行きたい‼︎その気持ちを汲んで母がともに行くことを決めてくれ何とか会いに行くことが出来た。推し様はやっぱり女神のようで…すごく救われたのを鮮明に覚えてる。その後も精神的に落ち込みが酷い日があったがその言葉を胸に自殺を免れ今ここにいる。

初めは自分が…ポジティブで大雑把が取り柄と思っていた私が鬱になるとは思ってもいなかった。本当に突然やってきた思いがけない出来事だった。仕事人間な私がまさか半年以上仕事をせずに過ごすとは思ってもいなかったし、自殺企図も…。人生何が起こるかわからない。
私はまだまだ薬の調整が必要で(色んな薬で副作用出たので)仕事復帰出来るわけでもないし調子がいいわけでもない。でも同じ気持ちの人に少しでも届けばいいな…って言うのとみんなにもいつ起こるかわからないし、すぐそばの人が落ち込んでるかもしれない。そんなことを心の隅に置いててもらえたらな、なんておこがましいけど…。私は実際にこの病気になって色んなしたくない経験をして患者さんの気持ちがすごく良くわかったし薬の怖さもよくわかった。人の心が刃をむくことも…。

長くなったけどまた気が向いたら何かアップします笑
付き合って読んでくださった方、ありがとうございます。これが誰かのお役に立てれば幸いです。

#心の病気
#病気と向き合うために
#療養日記

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