見出し画像

44歳だからわかる、散らかったキッチンの愛おしさ。


44歳のわたしにも17歳という時期があった。いまから27年も前の話だ。

わたしは東北地方の雪国育ち。田舎だから娯楽が少ない。自転車で行ける場所は限られている。

あるとき、高校のクラスメイトがお泊まり会を開いてくれた。その子の家庭はシングルマザーのおうちだったのかもしれない。あまり覚えていない。お父さんの影が極端に薄くて、お母さんの印象ばかりが強かった。お母さんは働いていて、おじゃまするときは、明かりがついていなかった。お母さんは夜遅く帰宅していた。

彼女は、ミッチーと呼ばれていた。ミッチーの家庭は、うるさくなかったので溜まり場になった。いっしょに夜ごはんを作って何度も泊まった。ご飯は簡単なものだ。ソース焼きそば、ボンゴレビアンコ、ナポリタン、麺類が多かった気がする。雪国は娯楽が少なかったので、「行く場所」があることがありがたかった。

自転車で40分くらいの距離だったのに、ミッチーのうちには何度も遊びに行った。ミッチーは人気者で、交友関係が広くたくさんの友達に囲まれていた。2人で遊ぶときもあれば、大勢のときもあった。

ミッチーのおうちにおじゃましたときは、山盛りになったキッチンの洗い物から始まる。広いシンクの上に、お皿、コップ、フライパン、鍋、箸、スプーン、あらゆる洗い物が積まれていた。その洗い物のブロックを少しずつ崩しては洗って、拭いて、食器棚にしまっていく。

ある日、いつものように洗い物をしているとミッチーが言った。

「本当にうちの親は恥ずかしいよ。こんなに洗い物を溜めちゃってさ。いつも手伝わせてごめんね」

「お母さん、疲れているんじゃないかなー。仕事がんばっているからじゃない? わたしは、いつも泊まるのにうるさく言われないことに助かってるよ」

17歳のわたしの口から出たことばは、本心だったと思う。でも、心から理解して言えるのは同じ立場になった今だ。子どもがいて、仕事をして、家のことをこなす。それがどれだけ大変かを今なら理解できる。

ミッチーにはいつも言われていた。

わたしたちが泊まりに来ると、「洗い物がなくなっているからお母さんが喜んでいる」と。お母さんの立場になってみると、子どもの友達がたくさん泊まりに来て、わずらわしかっただろう。夜遅くまで起きていて、声も響いてうるさかっただろう。

でも一度も「静かにしなさい」と言われなかった。わたしは、ミッチーの親にどう思われているか気になっていたからそのことに救われていた。遠かったのにもかかわらず、何度も通っていたのは、自分を否定されず受け入れてくれる場所だったからだ。

44歳の現在。

結婚して、子どもができて、一般的な主婦になった。断捨離を終えたのにもかかわらず、寝坊して朝に洗い物ができないと、夜に洗い物の山ができることがある。片付けが終わりわかったことは、どんなにモノを減らしたとしても、できないときがあることだ。

ミッチーのお母さんと同じ年代になって、ふとしたときにあの山盛りになった洗い物を思い出す。

ひとは、ずっと同じ状態ではいられない。元気なときもあれば不調のときもある。できるときもあれば、できないときもある。

できない状態があること。それは、当たり前だと思う。散らからない仕組みを一度つくれば楽になる。だけど、できないときは誰かに頼ってもいいと思う。

わたし自身がSOSを出せないタイプだから、どんなにそれがむずかしいことかもわかる。張り詰めた暮らしの中で、なんとか息を吸おうとがんばっているひとに、これ以上「がんばれ」とは言えない。

子どもを車内に置き忘れて出勤してしまったひと。
疲れすぎて電車のホームに転落してしまったひと。

そんなニュースを見かけるたびに、みんなが楽になればいいのにと常々思っている。

わたしは3年かけて自宅を片付けてきた。片付いた部屋は気分がいい。だけど、わたしが伝えたかったのは、「あなたも片付けましょう」じゃなかった。いつも思っていたのは、「あなたが楽になればいいのに」だった。「あなたが少しでも楽になれば」といつも思っている。

あなたが楽になるなら、片付けたほうがいいけど、一層大変になってしまうなら、散らかったままでもいいじゃないって思う。日常をがんばりすぎて、動きたくても動けないときもあるのだから。

娯楽が少なかった17歳のころ。ミッチーの家を今でも思い出す。高校生のあの時期に、ミッチーの家に泊まって、いっしょにご飯を作って食べたこと。布団を床に敷いて雑魚寝したこと。あのときのあの時間を、散らかったキッチンと共に思い出している。


#創作大賞2024
#エッセイ部門

秋には干し芋を買って、12月までに新しい手帳を買いたいです。