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集まるというのは、排除することと同義。

作家の凪良ゆうさんが「集まるというのは、排除すると同義」とインタビューで答えていた。その言葉が今も胸の内に残っている。

集まることが、誰かを排除することにもなりうるのに、自分も経験してきているのに、その言葉が形になって現れていたのを目にしたとき、「まさに、そうだなあ」と思った。

想いを言葉にできるってすごい。そして、経験していないと、その言葉は生まれてきていなかったと思う。

人には仲間になりたい「欲」がある。グループに所属していると、安心感が生まれる。

一時期、「集まり」に自分が呼ばれるかを酷く気にしていた時期があった。子供が幼少期のときが特に顕著だった。我が家は一人っ子だから、「集まり」に呼ばれなければ、子供の遊び相手が居なくなってしまう。世界の中心が「集まり」に呼ばれることへと意識を向けていた時期だった。

今になって思うと、ばからしい。そんなこと、何にもならないのに。現在は子供が大きくなり、今ならわかるのに。当時はどうして、あんなにも必死だったのだろう。

その全てがムダとは言わないけれど、しなくていい努力、ムダな努力、いいように扱われてしまった自分がいた。

本当に狭い思考の中で生きていた。今も、そんなふうに思い込みという「頭の枷」がある気がしてならない。

夫が単身赴任になって、時間ができたことをキッカケに、自分の気持ちを紙に書き出して振り返っている。紙の中に書かれていた自分は、「自分のことを大切にしていない自分」だった。

急に出た胃の不調。目の腫れ。手放せない薬。その原因が知りたくて、自分をさぐっている。何に苦しんでいるのか。今まで自分が正しいと思ってきたことは、本当に正しいことなのか。自分を疑ってもいる。

単身赴任中の夫が、会社を出て直ぐに電話をかけてくる。10分間、夫婦で話す。僅かだけど、自分の味方になってくれる人というのは心強い。

社会に出て働いていると、自分の「利」になるように、動かそうとしてくる人に出会う。そんな人と会った日は、酷く消耗する。上手く避けることが出来る日もあれば、失敗してしまうこともあるからだ。

夫のように、いつも味方でいてくれる人も入れば、そうじゃない人もいる。

これ以上、不調を抱えないためにも、自分だけは自分の1番の理解者でいよう。そのためにも、引き続き「自分を知る」ために時間を使っていこう。

仕事を辞めて専業主婦になってから「お金」のことを考えるようになりました。「応援」や「御礼」のためのお金は、会社員で得た収入の100倍くらい嬉しいです。あなたの勇気や心づかいに感謝しています。