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あのラッパー達はどこへ行ったのか。

コロナ前の2016~2018年頃、フリースタイルのラップバトルが熱かった。

川崎ルフロンの謎モニュメントの前、最寄り駅前の公園、家の近所の公園。
土地柄だろうか、帰り道でよく中高生の草ラップバトルを目撃した。

彼らは数人のグループで集まりスマホでトラックを流し、
「Yo Yo 俺は凄ぇ、お前はダセェ。One for the mother, Two for the brother」
的なラップをぶちかまし合い、とても微笑ましかった。

金もかからないし、誰にも迷惑をかけない。
ラップを歌う(?)には音楽の知識とボキャブラリーも必要なので勉強にもなりそうだ。何より、ストリートに音楽文化が根付くのはクールだ。

僕は彼らのことをラッパーの玉子、略して「ラッ玉」と名付けた。


この時期、中高生だけでなく一部のサラリーマンの間でもラップバトルが流行っており、新橋の公園でもスーツ姿のラッ玉たちが鎬を削っていた。嘘みたいな話だが本当だ。

サラリーマンのラップ大会も開かれ、僕もラップ好きの同僚と一緒にクラブに見に行ってみた。

駅員さんや建築関係の会社員など、普通に社会人してたら関わることの無い人たちが自分の職業あるあるを織り交ぜたラップをぶつけ合い、バトルが終わればノーサイドの名刺交換。

ヒップホップシーンの盛り上がりを肌で感じる夜だった。


2019年に入ると、新型コロナウィルスが日本でも流行り始めた。
いろいろなことが自粛される中、至近距離で唾を飛ばし合うラッ玉たちの姿は消えていった。

それに加え、2019年末にはラップバトルで負けた高校生が罰ゲームとして多摩川に飛び込み、亡くなるという痛ましい事故が発生した。
もしかするとその後、学校でラップ禁止令が出されたのかもしれない。


2023年になった。
新橋駅前公園でラッ玉を見ることはもうない。
川崎駅前も、近所の公園にもいない。
ラップシーンの終焉か。
風だけが冷たく吹いていた。

僕は彼らのことが好きだった。
音楽に夢中な彼ら。
ちょい悪かつ少々珍妙な彼ら。
真っ赤な顔で次のリリックを探す彼ら。

それでも、
それでも僕はまだ探している、どこかにラッ玉の姿を。
旅先の店。新聞の隅。
こんなとこにいるはずも無いのに。

奇跡がもしも起こるなら、もう一度君のもとへ。
新しい朝、これからの僕。
言えなかった好きという言葉も。

以上







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