退屈であることの美徳

私たちが何か人生に大きな影響を与えることを考えるとき、感情的にもエクサイティングなイベントなどを考える傾向にある。

しかし、それはかなり逆の答えなのだ。
お酒を辞めることは登山をするよりも人生を変えるだろう。
週に3回筋トレをするをすることは、高額な自己肯定感を高めるセミナーに行くよりも人生に影響を与えるだろう。
SNSを平日使わないことは、今ばか売れしている幸せになる方法本を読むよりも確実に人生の生産性が上がるだろう。

これは単純にとても明らかなはず、多分だから私たちはこれらをしないのだ。やるべきことを後回しにして、後回しにして、後回しにして、やっと「もうだめだ。やらないと。変わらないと!」と思った時にとても思い切った、かなりきついことを求めてしまう。変化なんて所詮シンプルなはずなのに。

普段の小さな変化ではなく、ひとつの大きな変化を求めるこれには二つの理由があって、
一つ目はわくわくする方が市場性があるから。だからよく聞く話なのだ。朝スムージーを飲んで腕立て伏せをする?そんなん無理。家を売ってキャンピングカーで旅に出ようってなるわけ。

その行動がきつければきついほど、一度すると全てがうまくいくって思ってしまう私たちの心理現象も証明されているみたいで、けど、これらは全てイリュージョン。錯覚。騙されているだけ。

二つ目は、それをすれば何か絶対にある!って信じることが好きだから。信じた方が希望を感じるから。
私たちは、避けられないことがあると認めたくない。
だから人生のイリュージョンを求めてしまう。

けど面白くないこと、退屈なことをすることには美徳がある。
それを受け入れるだけではなく、受け入れることを学ぶという美しさがある。
そして人生という真の価値が生み出される。
また、それは人生最大の価値が体験されるところでもある。

マークマンソンさんのニュースレターより


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?