食べること 食べないこと

食べたいときに
食べたいものを
食べられること
それは とても幸せ

でも
食べなきゃ や
食べちゃダメ は
どちらも苦しい

どちらにも固執せず
自由でいたい


普通の食事 というのをしなくなって
どれくらい経つのだろう‥

定期的にスーパーへ買い出し
なんて
もう 2年以上していない

カフェに行くことはあっても
普通の人のような食べ方はできないし
そうしたいとも思わなくなった

美味しそうだなって思うことはあっても
本当に食べたいと思うものって
ものすごく少ない

ちゃんと自分の心に聴いてみたら わかる

心に余裕がないときは
聴いてあげられないまま
間違えて食べてしまって

あとで
心が泣いていることに氣付く

心ちゃん 体さん ごめんね
って 毎回思う


今日も
途中までは良かった

大好きなお店のケーキを
空腹じゃないけど 食べたくて
少し迷って 不安になりつつ買って
でも ちゃんとお腹が空くまで待って
美味しく食べてあげることが できた

なのに
帰ってから(帰り道で)
ちょっと間違えちゃって
また ごめんね って
言う事態になってしまった


街を歩くと
お店も広告も
飲食に関連するものが 多すぎる

それって 本当にそんなに必要なの?
世の中に食べ物 溢れすぎていない?


そういったことを調べていると
過激派っぽい人たちも多くて

話題になりやすいのは
食べられる動植物がかわいそう
とか
廃棄される飲食物がもったいない
とか
飲食業界や医療業界の闇
とか
ともすると
ちょっと変な(怪しげな)方向になっていく


確かに
そういう部分も
氣にすべきなのかもしれないけど

私にとっては
そういうことは あまり関係なくて

ただ
自分が楽でいるために

思考の中から
食に関すること 不要な執着を
手放したい


不食や微食少食の人も
増えているようだけど

摂食障害の人も
増えているように見えるし

私のように(私以上に)
食べることに苦しんでる人って
見えない(見せていない)だけで
実は たくさんいるんじゃないかな?


私も昔は もっと辛かった
食べることへの嫌悪感と罪悪感が
ものすごくあった

食べること
じゃなくて
食べる自分
と言った方が近いかな

食べることで自分を苦しめて
自己嫌悪のループにハマっていた


今は
食べることは
変わらず辛いけれど

食べても食べなくても どっちでもいい
という
不食の概念に救われているし

食べてしまったとしても
そんな自分も
許して愛してあげられるようになって

少しずつ
楽でいられるようになってきた


いつか
食べることで
食べないことで
辛く苦しい思いをしている人を
助けてあげられるようになりたいな

うん
私のやりたいこと
またひとつ増えた


やりたいことは
たくさんあるけど
形にできる(したい)ような
具体的なものが思い浮かばなくて

そのうち
何かパッと閃くだろう‥

なーんて
今は敢えて考えないようにしている


それが良いのか悪いのかは
わからないけど

自分の心に正直に
体を動かして 色んな人に会って
たくさんのことを感じて
どんなことでも受け入れて

楽しく笑って生きていれば

時が来れば
きっと ちゃんとわかる


私は私を信じてる
天の采配を信じてる
宇宙も世界も信じてる

この世界は(抵抗さえしなければ)
すべてうまくいくようにできている


きっとまたひとつ
ステップアップできる

私ってすごい
私は絶対大丈夫

なんでって?

だって
私だもん


私は私だから
ただそれだけで すごい

それは
例外なく
あなたも
あの人も
みんな同じ

誰しもが
存在しているだけで
本当に素晴らしい


生きててくれて
ありがとう

生かしてくれて
ありがとう


人間という生き物が
楽しむために
地球を選んで
生まれてきたとするのなら

苦しみは
もう
要らない


大丈夫
すべてはアッサリうまくいく

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